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【2016/03/14】

復興まちづくり映像ミニシンポジウム 「もうひとつのまちづくり そのすがたとかたち」 開催

IRORI石巻オープニングイベント「リアル石巻」共催企画
復興まちづくり映像ミニシンポジウム
「もうひとつのまちづくり そのすがたとかたち」

震災以降、石巻のまちと人々は、多くのメディアを通して発信されつづけてきました。
その中で、復興とまちの未来に向けて動く人々の姿はどのように映ってきたのでしょうか。
2014年、震災から2年半の石巻のまちづくりを伝える映像が出版されました。
それから同じ2年半が経過した今、この映像アーカイブをあとからひもとくことで、ひと呼吸置いた石巻のリアルとこれからのまちについて考えます。

日時:2016年3月20日(日)午後2時から5時
会場:IRORI石巻(石巻市中央二丁目10-2)(http://irori.ishinomaki2.com/)
主催:早稲田大学都市・地域研究所/一般社団法人ISHINOMAKI2.0
協力:まちづくりを記録する会

内容:
(第一部:映像上映と解題)
■映像上映:「東日本大震災復興まちづくりの現在 2013年秋」(丸善出版)
      第6巻『宮城県石巻市 まちづくり市民事業の連携』

■解説:真野洋介(東京工業大学、一般社団法人ISHINOMAKI2.0)「石巻復興の5年」

■トークセッション
 佐藤 滋(早稲田大学理工学術院教授、早稲田大学都市・地域研究所所長/本映像監修)
 青池憲司(映画監督/本映像制作協力)
 松村豪太(一般社団法人ISHINOMAKI2.0代表理事)

(第二部:まちの未来とまちづくり)
■プレゼンテーション
 松村豪太(一般社団法人ISHINOMAKI2.0代表理事)
 「5年目を迎える石巻2.0の新たなチャレンジ」
 渡邊享子(合同会社巻組、一般社団法人ISHINOMAKI2.0理事)
 「居住・起業支援のこれまでとこれから」
 松下嘉広(一般社団法人ISHINOMAKI2.0 地域自治チーム)
 「地域まちづくりと村デザインの見える化」
 石川碧璃(一般社団法人ISHINOMAKI2.0 地域自治チーム)
 「桃生地区のまちづくり」                 ほか

■ディスカッション

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【2011/08/16】

シンポジウムday5「まちの巻」

シンポジウムレポート
7月29日 「まちの巻」〜被災地の不動産から考える町〜
パネラー  馬場正尊(東京R不動産/東北芸術工科大学准教授)
      饗庭伸(まちづくり/首都大学東京准教授)

モデレーター西田司

——

石巻の商店街は、津波による大きなダメージを受けた。
震災後は建築制限もかかり、先が読みづらい状況にある。
そして商店街の衰退も、多くの地方都市と同じように以前から感じられていた問題である。
今ここから、石巻の商店街は、どのようにモードを変えてやっていくことができるのか。
地域や不動産に多角的な視点で働きかけて大きな成果を出してきた馬場氏と饗庭氏を招き、
さらには地元商店主や不動産業者などの意見を交えて、シンポジウムは白熱した。
——

(以下公開トーク抜粋、敬称略)

西田 今回は、石巻の実務者が多く参加されているので、会場の声を聞くことから始めていきたい。地域の活動や不動産の活用という点から、本日のパネラーである馬場さんや饗庭さんに期待している話題を挙げて頂きたい。

阿部(地元)遊休不動産をいかに有効活用できるか。震災後は、特に問題となっているので。

田中(ボランティア団体オンザロード)4月から石巻に入り、京都の家を引き払ってそのまま居続けている。活動のなかで大工仲間と店舗の再生もしたことがあるが、規制のかかった地域では続けることができるのか、または移転先をどこにするかでもよく分からずに悩む。自分は、たとえば瓦礫アートを展示するギャラリーのようなアジトをつくりたいと考えている。

沼倉(地元)先日オープンした「復興バー」のオーナーをしている。中央で他にもテナントをもっているが、店子は撤退。実際的なアイデアがあれば。

東北大学の学生 都市計画学を専攻している。石巻出身で、震災前からシャッター商店街だった様子を知っている。復興でどのように変わるかを見たい。

松本(地元不動産業)石巻の不動産業で、現在は建物修理の最前線にいる。新たな視点を得て元気をもらえたらと思う。

松岡(地元商店主)土地と都市の機能との関係を詳しく知りたい。震災後、土地の価値観が変わったなかでのアドバイスをいただきたい。

■通常のまちづくりは時間がかかる

饗庭 プロフィールとしていくつかの事例を紹介。山形県・鶴岡市での再生事業。行政主導で進められていたが、商店とマッチせず、大学と行うことに。まずは話し合いが大事で、会ってつなげることに注力。だんだんと市民やNPO法人にも入ってもらう。つなげるだけで3年。そこから5年目までは、イベントをいくつか開催。空き店舗を利用して文学館を3カ月間運営するなど。10年目からようやく、再生事業にのった建物ができはじめる。倉の再生、ケア付き共同住宅、道路拡幅に応じた街並み整備など。

平時の街づくりで、会合が週1〜月1回の頻度で、10年かかる。長く感じると思うが。阪神大震災のときには毎晩〜週1の会合が行われたが、それでも5年。合意形成をして資金計画を立てるには長い時間がかかる。ただ、これは重くて固いイメージ。今ある建物をどのように活かすのか、ということでは5年以内にできることがあるだろう。

もうひとつ、東京・国立市での空き家再生の事例。歴史的な地区にあって、「コミュニティカフェ」をつくりたいという地域の人の要望があった。シェアハウスやシェアオフィスも併設。人づてで、関わる人を探してきた。改修費用は最小限に抑えて供出しあい、オーナーは固定資産税とメンテナンス費用がまかなえるくらいの条件で合意。完成後は、地域の方が主体的に、得意分野でのイベントを行ない、さまざまな活動がされている。

■R不動産の発想と展開

馬場 建築設計をしていると同時に、「R不動産」をしている。新しいインターフェースで空き物件を発見し、専用サイトにアップするもの。石巻でも、こういう方法でやれば、もしかしたら物件が埋まるかもという話をする。地方都市は、東京とはまったく違う。自分の出身は佐賀市で、商店街が自然消滅してしまった。現在、山形の東北芸術工科大学にいて、やはり商店街は問題を抱えている。

「東京R不動産」は、変わった物件について、写真と「こうすると面白い」という文章で紹介。WEBサイトのみ。きっかけとなったのは、自分の事務所を変わった空間にしたいと思ったときに、改装可能な賃貸物件がなかったこと。ボロボロの状態で貸せると思っている不動産業者がいない。改装といっても、白く塗っただけ。これでいいのだが、これだけでも大変だった。実際に改装をすると、オーナーも喜ぶ。「これはマッチングがおかしいんだ」と気づく。

R不動産のWEBサイトでは、一風変わったアイコンがあることが最大の特徴。「改装OK」「レトロな味わい」「お得なワケあり」など。これまでとは違う目線、空間の魅力から見て、嬉しそうに文章にする(笑)。例えば、倉庫みたいな物件で、貸す為に補修する費用を充当し「改装補助30万円付き住宅」として貸出したり。いい感じで自分好みに改装する客がすぐについた。

「Re-Know」という事務所やヨガ教室などが入る複合テナントビル。若い人は、古さと新しさのミックスした雰囲気が好き。予算配分として、綺麗にするところは力を入れる。又、独身寮をシェアハウスにした例。食堂をラウンジに変えてコミュニケーションの場をつくる。徒歩20分以上の物件、63戸があっという間に埋まる。

地域をコンバージョンさせた例。東京・東日本橋のあたりは問屋街で、空き物件がたくさんあった。CETというイベントを企画し「街自体がギャラリー」として、いくつかのテナントを無料で30日間借りた。借りたスペースはギャラリーのほかクラブやショップにしてヒントを与え、会場となったテナントを見に来る人には、この物件は借りられると告知しておく。会期後は実際にショップやギャラリーが入居し、このエリアは東京有数のクリエイティブなエリアに変貌した。

■地方都市に展開できるモデル

黒田(元・馬場研究室、現・東京R不動産) 自分は、石巻出身でもあるが東京に出てきてもいる。そうした人はたくさんいて、元気な石巻を見たいと願っている。「山形R不動産」について。25万人都市でも商店街は空きだらけ。ただ、東京と同じように、面白い物件、改装OKの物件を探そうとしたが、なかなか難しい。それならまず提案をしていこうと、物件を勝手にピックアップして外観を変えたCGの絵や文章で使い方をWEBサイトに発表していった。そうしているうちに、話がつながっていった。

「ミサワクラス」は、数年前から空いていた旅館を活用した物件。シェアハウスを提案。皆が集まるキッチンをつくり、会合ができたり。大学から2〜3kmの距離で、1人3万円で貸す。800万円かけて、約3年で回収。「アジアハウス」は、小さな古い4階建てのビルを、山形ドキュメンタリー映画祭のための期間限定のカフェとスタッフが泊まるドミトリーに転用。映画祭が終わった後もギャラリーやカフェとして開放。木製パレット(荷役台)を積み重ねたベッドや、映画館の椅子を活用した家具をつくるなど最小限の手数でできることを考えた。

馬場 ポイントは、点で始まったプロジェクトが、次第に町の中で面的に広がったこと。もう一つは、具体的な数字をもって動くこと。シェアハウスでは「3年回収で利回り30%」で、オーナーや銀行は動いた。

松本(地元不動産業)今の石巻では、オーナーに「覚悟」が求められる。都市計画がどうなるか分からないことや、冠水する物件もある。そうした状況でどうするかと悩む。

馬場 確かに、石巻の状況はかなり特殊。行政が今後どのような判断をするかということはある。ただ、それまでのつなぎの時間と捉えてどう過ごすかを考えるなら、今でもできることはある。「ミサワクラス」でも、オーナーには覚悟が必要だった。それで事前に、周りの学生に「いくらなら住む?」と聞いて回った。3万円ならいい、という学生が12人募集のなかで8人集まり、24万円の収入が仮に確定。銀行に資金を借りても逆ざやにはならないと説明。住人が確保されていて、最初に無理な投資をしないことがポイントになった。

■特殊な状況だからこそ可能性がある

阿部(地元)商売人としては、商売を再開しないと見通しが立たない。最小限のリスクで最大のパフォーマンスを得たい。個人レベルの復興をしていくとき、手持ちのカネがないと怖い。中心街の人たちは、明日にでも商売を再開したいと思っている。

馬場 R不動産のもう一つのポイントは、情報を発信していること。条件を明示しながら「ここにも空き物件がある」と続けていくと、それを見て響く人がいるかもしれない。商売人が仮設住宅に暮らすよりは、店の近くに住むほうがよさそうだ、と。こうした事例がささやかでも出てくると、新聞で取り上げられて広がることもある。

松本(地元不動産業)今、水が入らない建物はそのまま直しているが、朝晩に冠水する建物はどうしようもない。

芦沢(建築家)ウルトラCのアイデアは必要で、誰もやらなかったことが求められる。というのは、ボランティアのなかには外国人もたくさんいるし、大勢のボランティアはどこで何をしたらいいのかが今後見えなくなっている。こんな状況はこれまでの石巻にはなかったことで、うまく利用すればいい。アイデアを少しずつやってみよう、というチームができればいい。できれば情報や技術で連携しながら、一つのまとまりでやったほうがよい。

馬場 「アジアハウス」では、おカネをほとんどかけずに演出をした。最大の問題は法律だった。宿泊施設に転用するのはハードルが高い。京都の町家で宿泊させている事例を参考に、1泊でも定期借家契約として対応した。あとは「これがカッコイイ」と言い張ること。冠水するなら「浸水バー」と銘打ってもいいかもしれない。ヴェネチアでは水が上がってくる有名なバーがあるし。意地でも明るく、がいいのではないか。

田中(ボランティア団体オンザロード)街をみんなが愛するようになったら、物件に対する見方も変わるはず。今自分は、大漁旗を再利用して服をつくろうとして縫い子さんに呼びかけているが、一人よりもコミュニティのなかでつくるほうが楽しい。大きなスペースをそのために使おうと考えると、ワクワクして希望が持てる。

高橋(馬場研究室)石巻出身の自分は「石巻R不動産」をはじめたいと考えている。(一同拍手)「仮住まいの輪」で石巻の物件を紹介した経験から(詳しくはwww.karizumai.jp/ )自分の活動が役に立つこともありそう。

沼倉(地元)被災後、テナントのオーナーと店子の関係が微妙になっている。オーナーが「いつ再開するの?」と聞いても、店子は見通しが立ちにくい。今は一対一の小さい関係の中から、しかもスピード感をもって動くことが大事。パイが小さくても、家賃はその売上から歩合で設定することも一案だろう。

真野(東京工業大学)空き店舗の活用は、皆がおおよそ共有できている話題。潜在的な要望がごく少数であっても、それを引き出すために常識を疑って取り組むことが必要。オンザロードの活動のように、ステレオタイプでない姿が現場では進化している。8月・9月以降がここにいる方々の腕の見せ所で、そのヒントを今日はたくさんもらった。

饗庭 石巻で、大きな需要と供給が生まれているのは間違いない。問題は、おカネを産みづらいことで、オーナーの覚悟は必要。その中から、やってみようという人を応援できればいい。建築的には、2階をどう格好良く見せるか、ということも鍵になりそう。

馬場 今このタイミングでしかできないアイデアがあるはず。衰退する商店街は日本中の問題で、石巻での今後の活動はかなりのインパクトを生むだろう。こうして縁あって自分はつながったので、うまく関わることができればと思う。

——

パネラーお二人の関わったプロジェクトの具体的な話が、今後の石巻商店街での活動の種となった今回のシンポジウム。参加者から寄せられた、現実に抱える問題についての話題も、アイデアを深めるものとなったように思う。課題は大きくたくさんある一方で、この場に集まった人々の発想や価値観の転換によって街は大きく好転するかもしれない、そう思わせる前向きなパワーにあふれる会合であった。

レポート:加藤純

【2011/08/06】

シンポジウムday2「ボランティアの巻」

シンポジウム2日目レポート
7月25日 「ボランティアの巻」  
パネラー  河野心太郎(め組JAPAN)
      石山智夏(め組JAPAN)
      平山雄貴(ピースボート) 
      小林深吾(ピースボート)
      堀之内哲也(ON THE ROAD)
      魚谷浩(ON THE ROAD)
      田中鉄太郎(ON THE ROAD)
      
モデレーター松村豪太(ishinomaki2.0)

松村 震災後立ち直れない程のダメージを受けた町で一週間くらい経ったときに、見た事のない方が泥かきをしていて、そこでボランティアを知りました。ボランティアにより石巻の復旧は始まったと言えると思います。石巻には複数のボランティア団体が活動してきていますが、ボランティアの皆さんが率直に意見交換する場所がなかったのに驚きました。この会ではお互いの本音で意見をぶつけ合うことができればと考えています。本日は各ボランティア団体から2名の方にスピーカーとしてきて頂きました。まずは本日お集まり頂いた方の自己紹介からお願いします。その際に始めたきっかけと石巻に入った時期もお願いします。

(以下公開トーク抜粋)

河野(め組):僕は3月22日から入りました。埼玉に住んでいて、仕事は福島県猪苗代にお店を持つ会社の営業マンでした。被災したことで仕事が減り、会社へ行ってもお昼で切り上げる様な日が続きました。そのとき「てんつくマン」というめ組JAPANの代表を知り、ボランティアに興味を持ちました。ボランティアで石巻に来て一月後会社を辞め、現在迄石巻にいます。

石山(め組):私も3月22日から入りました。地元は秋田で、震災の日は沖縄にいました。MAKE THE HEAVENがめ組JAPANを立ち上げボランティアを始めたと知り参加しました。

平山(ピース):元々はピースボートの大阪にいました。阪神大震災を中学で体験し、その経験から今回の震災復旧に参加したいと思い、ピースボートの初期の大規模投入の際にボランティアの引率として3月23日に入りました。

小林(ピース):僕もピースボートの職員で地球一週の船旅という地球交流の船旅を普段やっています。その活動のなかに災害支援があり、今回地震がおこってすぐに災害支援をやっているスタッフと一緒に石巻に入りました。

堀之内(ON):地震のときは京都にいました。地震発生直後にすぐに堀之内哲也災害対策本部を立ち上げ、1人でできることをやろうと輸送を確保できる交通ルートを調べて伝えたりしていました。3月26日に大人一人で立ち上げられる仮設テントを届けに石巻に来たことがきっかけで、そこからON THE ROADの活動に参加。7月16日からリーダーをやっています。

魚谷(ON):阪神大震災を経験した灘区からきています。神戸が色々な方面から支援を受け、そのなかで復興していったのを体感しており今回復興ボランティアに参加しようと思いました。3月末に退職し、4月16日から石巻で活動しています。今後も長くやっていくつもりでいます。

松村:続いて各団体のこれまでの活動と現在の活動拠点、宿泊場所などを教えて下さい。

河野(め組):3月16日に現地に入りし、その頃は炊き出し、調査、物資調達、デリバリーなどを行なっていました。緊急時期を過ぎ、落ち着いて来た時期から、泥かき、泥だしを行いました。現在は40人位のクルーで、SEEDS OF HOPE(平和への祈り、復興への祈りを花に託し、世界同時でスタートした希望の種蒔きプロジェクト)やキッズチームでは公園再生や学習支援など、子供たりが元気よく遊べる環境作りを行なっています。登米市豊里町の古民家を拠点にしており、そこから車で現地へ行き来しています。

平山(ピース):現在250人くらいのボランティアがいます。どろかき、炊き出し、避難所の自立支援(炊事器材の提供)や漁具の改修や漁港の清掃などを行なっています。拠点(宿泊場所)は廣山、新館の工場跡地、春潮楼、専修大学のテントと複数あります。

堀之内(ON):代表の高橋歩(経歴は本を出版、バーをつくる、世界中を家族で旅行、インドの子供にお金をはらわず通える学校をつくる等)が3月20日すぎに、ピースボートの一般ボランティアに参加し、オンザロードとしても何かできないかと考え、4月8日から活動開始。4月15日くらいから渡波地区を中心にボランティアをしています。泥かきをしながらニーズを聞き、炊き出しをしたり、店舗再生(オープン迄のお手伝い)をしたり、仮設住宅への引越のお手伝い等をやっています。拠点は大崎市田尻にある桜の湯(右手芝生広場)でテントをたてて生活。ボランティアは100人前後(多いときは260人くらい)バス2台、車20台程で行き来しています。

松村:ボランティアは、どのくらい人が入れ替わるのですか?

堀之内(ON):ON THE ROADでは、長くいるメンバーが30人くらい、日帰りから一週間が多いです。
平山(ピース):ピースボートでは、定期(1週間組)と短期(2、3日組)の2種類です。
河野(め組):め組JAPANでは、当初から日帰りも受付けており、長い人は12月31日迄。週末組と言う毎週くる人もいます。

松村 はじめて来る人への初期の導入はどうやっていますか?また滞在長さで仲間意識はどうですか?

堀之内(ON):拠点から1時間位移動にかかるので、8名くらいでワンボックスに乗り、車内ではじめての人にも当日の内容を説明しつつ、自己紹介し、その移動時間がコミュニケーションの場になるおかげで、現場でひとつになれます。

小林(ピース):ピースボートでは事前に説明会をやっており、必ず説明会にでてもらうようにしています。セーフティの案内や活動内容の紹介、来る前にグループもつくり、現場に来たときにすぐに動ける様にしています。

石山(め組):私が石巻に来た人すべてに導入をしています。長期メンバーが7割くらいなので、新しい人を1人にさせず和ませるように現場でしています。はじめての人には面白い話をして和ませ、私は導入担当の立場を利用し、彼氏彼女がいるかを聞いています。統計的に8割位いないか、別れてから来ています。

松村:被災地の恋愛はどうですか?
魚谷(ON):恋愛に場所は関係ないです。私も現地で恋愛をし、モチベーションを共にしているので、わかり合えることが多いです。
堀之内(ON):私は4月のはじめから家族できており、昼間働き、夜も働きこちらで4人目ができました(笑)。

松村 恋愛に対してのフリーさは、ピースボートはどうですか?
平山(ピース):東京に帰ってから飲み会等はやっていると思いますが、現地ではない。僕のまわりはないです。
ただ石巻のおかあさんに、お見合いをしないかと誘われました。家と山があると言われています。(苦笑)

平山(ピース):やっぱり話を聞いていると団体毎に色がありますね。ON THE ROADはガテン系。僕らピースボートは普通な感じ。めぐみは優しい感じと、色が分かれて見えます。

松村:はじめからそうゆう人が集まってくるのですか?
堀之内(ON):なぜ入ったのか聞いたら、友達の友達が来ているということが多かったです。類は友を呼ぶという感じになっていると思います。

松村:このあたりで会場からも反応を。
会場:震災直後は絶望してました。2種間くらいは何もせず、家に籠りラジオをひたすら聞く日常でした。頑張ろうと思ったきっかけは、ボランティアさんと20センチ位積もった泥をかいて、それがきれいになったときに、前向きな気持ちで商売をやっていこうという気持ちになりました。

会場:ボランティアを仕事と考えることはできるのですか?運営側をやっているとその辺りの境目はどう考えているのかお聞きしたです?また、活動場所は自治体ごとに分けているのですか?

河野(め組):普段は本部にいるのですが、そのときは仕事感覚でやっています。現場に出ると仕事という感じはないです。活動人数が少ないので、現場は石巻だけですが、め組JAPANの別部隊は福島で土壌改良をしたり、北海道洞爺湖で福島からの一時避難や疎開プロジェクトも開始しています。

小林(ピース) :大事なのは自分のすることに責任をもっていることです。やりたくないこともやらなくてはいけない。仕事か活動かではなく、責任をもってやっていくことが大事だと思っています。普段は船旅をお給料をもらいながらやっているのですが、やはり楽しいだけでなく責任をもってやっています。活動場所は行政区分にこだわることはないです。ただ、ピースボートの力量を考えると石巻、女川くらいしかやっていないです。

堀之内(ON):僕は今回ボランティア活動がはじめてですが、本業は書道家で個人活動をしています。24時間仕事と活動の切れ目がなく、やりたいからやっている。日常ではなかなか経験したことがない、何かをすることで人から感謝されるという体験で味わう感動がやりがいに繋がってます。運営メンバーには、生活最低保障という微々たる額をだしています。5月の中旬くらいから他の地域のことを知ろうと思い、調査隊をだして八戸まで調べ、そのときの結論で力を分散させず、石巻に集中しています。

会場:今後泥かきなどが一段落したあとに、復興後のまちをつくっていく一員になろうという考えはありますか?

河野(め組):現在は子供達に目を向けて夏期講習などの学習サポートも初めました。またプール掃除などもしている。先ほども話しましたが、ひまわりを夏に向けて花を咲かすよう、育てています。

平山(ピース):関わり方が難しいと感じています。今までは目に見えて汚いものをきれいにする、食べれないものを食べるようにするというわかりやすい活動だったのですが、それに対し、自立支援は活動の範疇が難しい。石巻と東京をつなぐ動きをこれまでボランティアできた1万人位の人のネットワークとして今後やっていくことは考えています。最近まちづくり応援チームをつくり、川開きの日に石巻復興市をだし、地場産のきゅうりを売ったり、魚市場が再開したのでイカを焼いたり、雄勝石の加工をしてペンダントをつくり販売したりします。高齢な方が多いので、なかなか前に進まないことも多いですが、地元の方を下支えしながらやっていく活動を考えています。

堀之内(ON):我々は6月30日迄を一般ボランティアのフェーズとしていましたが、延長して7月~9月を第二期としました。二期になって、被災地という言い方を「復興地」という言い方に変えました。ゴミ出しや側溝掃除などを続けながら、仮設住宅の支援を始めています。仮設住宅支援は女川のほうでコミュニティ支援をやっています。また先ほど話した店舗再生も始めました。現状13店舗の再生をお手伝いをしています。渡波地区の中で、再生した店舗に光が灯ると町が少しずつ元気になるのが目に見えて判ります。

松村 自分が被災地にいる身で省みると、確かに絶望し、収入がなくなり、2重ローン問題があったりと本当に大変な状況であるが、甘えて何も立ち上がらない人がいるのも事実。川開きに向けた復興市などは、ボランティアだけでやろうとしているのか?それとも現地の人もまぜる予定は、どうでしょうか。

平山(ピース):考えとしてはあるんですけど、手伝ってくれる人が非常に少ないです。

松村 被災者を復興に巻き込むことをしていってほしいと思っています。ここまで信頼関係を築いてきたボランティアの人が声をかけるほうが、立ち上がりやすいと思います。同じようにオンザロードの店舗の再生はどう店舗を選ぶんですか?

魚谷(ON):時代屋さんが第一号店。一期の終盤(6月末)に店舗再生のビラを配り、それがきっかけで話がきたり、実績を見て、口コミで話が広がっています。

松村 オーナーさんにはどのくらい頼られるのですか?

魚谷(ON) 店主さんによって、僕たちへの対応も異なっている。自分でできるところと、ボランティアの手伝いが必要なところと、プロに頼むところをしっかり整理されている方もいれば、すごく頼りっきりの人もいる。そのあたりのボランティアの線引きは問題視しています。

松村 聞きづらいですが、この先離れ方も考えていかないといけない局面もあると思いますが、その辺りはどうですか? 例えば半島の方で、泥かきなどが終わり牡蠣の種付けを手伝っているボランティアもいます。そこまでいくと産業の担い手となるので離れ際が無くなってしまう気もする。次のフェーズについて伺いたいのですが。

河野(め組):離れ方はまだ検討中です。とても悩ましい。長期的に何ができるのか考えています。

小林(ピース):どんな関わり方にせよ、息長く石巻には関わって行くと思います。ただボランティア活動として、どのように関わり、そして離れるのかということは難しい。年内くらいかとも思っています。全てを無償で手伝う事が何処までなのか、これからまちを復興していく過程でボランティアがどうなっていくのかを考えています。

堀之内(ON):期限は9月30日まで受け入れとしていますが、今後随時変更していくつもりです。ON THE ROADは泥だし泥かきをしてきましたが、これからは自立のお手伝いなどをしていきたい。それを裏方として支えるようにしていきたい。僕たち自身も自立していかないと。そのためには、収入がある程度は必要で、今後のアイデアとして、8月12日から旅行班という活動で、観光の意味合いを含んだツアーなどをしていきたいと思っています。被災地の地場産業を訪れ、体験してもらいお金を落としてもらったり、一日だけ復興ボランティアをしてもらったりなど、ツアーを企画し、その手数料を運営費にまわすことができればどうかと考えています。

魚谷(ON):他にも、石巻にアジトを立ち上げるアイデアがあり、その企画を僕はやっています。そんなに規模が大きくない商業物件を借り、カフェがあったり食堂があったり、がれきアートのワークショップがあったり、地元の方を巻き込み、継続的に運営できるような活動を考えています。

田中(ON):僕は本業で、洋服をつくる仕事を京都でしています。4月からこちらでボランティアをしています。第2期では、ものづくりから何かできないかと考えています。仮設や集会所でつくりやすいものをつくってもらい、オンラインデパートとして販売することなども考えています。また大漁旗が30枚くらい見つかったので、それを使い何か創作出来ないかを考えています。傷んでいる大漁旗は新しく別に加工したり、保存状態が良い物はそのまま売ったりできればと考えています。

松村 事業を起こしていくことで、活動が継続していくと思うので、重大なヒントが含まれていると思いました。他に聞いてみたいことがある方はいますか?

会場 ボランティア全体のネットワークはあるのか?また、この地に住まうという発想が生まれてくるのかどうか? ボランティアがきっかけで継続的に街の復興の基盤になるような可能性もあるのかなと思いました。

小林(ピース):JANICという団体があり、NGOの活動を一覧で紹介していますが、すべての現状の活動を網羅するようなものはないです。ネット検索でキーワードを入れて探していくしかないと思います。

堀之内(ON):現地にいると毎日が一杯一杯で、そのような活動紹介のネットワークをこっちにいない人たちが整えてくれると有り難いと思っています。
平山(ピース):以前に比べ片付けが進み、町が少しずつきれいになってきて、それでもシャッターが下りたままの店舗をみて、自分だったらここで何をやったらよいかと想像したことはあります。

田中(ON):さきほどのものづくりの話の延長で、大漁旗もそのうち無くなり、ON THE ROADもいなくなり、それでも僕自身として、大漁旗の縫製で縫子さんと知り合えれば、その方々とビジネスを一緒にやっていくという関わり方があるのではないかとは思っています。

会場 私たちは建築が専門で仮設住宅の住まいの改善案を考えているのですが、仮設住宅群のなかに自分たちが入っていく際のコミュニケーションに対して不安があります。皆さんが支援をするまでの流れやネットワークはどうしているのでしょうか?

堀之内(ON):直接繋がろうとすると、そこには壁があります。自分たちもやはり始めは大変でした。今後、つなぐという役目がボランティア団体の役割にもなっていくのではないかとも思います。最近では企業ボランティアの窓口もはじめており、企業と被災地のパイプ役になっています。6月26日に渡波元気祭りを開いたのですが、これは町との信頼関係の成果で、地元の応援がとてもあり、行政側にも色々と協力頂き実現しました。

小林(ピース):いろいろな支援の在り方があると思いますが、一カ所に集中するとバランスがくずれます。また個人的な関係で全体がうごいているとすると、そこで動いている人の顔をつぶさないというという背景もあります。その交わりの関係性を理解して、そこで担っている人達のことを巻き込んでいくことが大切なのだと思います。

松村 最後に新しい活動支援の申し出がでてよかったと思います。今日は被災地住民として実情がよくわかりました。継続するためにも事業を起こして頂きたいですね。本当に、皆様どうもありがとうございました。

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<パネラー所属>

め組JAPAN  http://maketheheaven.com/megumijapan/

ピースボート災害ボランティアセンター http://pbv.or.jp/

NPO”ON THE ROAD” with FRIENDS 東日本大震災災害支援プロジェクト http://www.saigaishien.jp/

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レポート 西田司/Ishinomaki2.0

【2011/07/27】

シンポジウムわたしの石巻 27日以降のスケジュール

こどもの巻
7/27(水)15:30~17:00
石巻の次世代のこどもや若者について、彼らが地域と積極的にかかわっていくまちづくりを星野諭(コドモ・ワカモノまちing)と石巻人がこども目線で語ります。
モデレーター:西田司


星野 諭 Hoshino Satoru 〔代表〕
一級建築士、地域コーディネーター、イベントプロデューサー1978年、新潟の妙高高原生まれ。子ども時代に山の中で育ち、人や自然に支えられ「縁(つながり)」を感じる。高校時代より様々なボランティア活動に参画し、大学時代に「子どもと一緒にデザインしよう会」という地域活動団体を設立。その活動を続けながらも、仕事として地域コーディネーターやイベントプロデューサー、一級建築士として建築・観光・教育・まちづくりなど多分野で活動。2009年(財)まちづくり財団の「まちづくり人」に認定。
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産業の巻
7/28(木)15:30~17:00
これからの産業の在り方について、「六本木農園」や「丸の内朝大学」などを展開する古田秘馬(株式会社umari)と六次産業研究者で地元大学の李東勲(石巻専修大学准教授)が語ります。
モデレーター:西田司

古田秘馬

プロジェクトデザイナー/“朝EXPO in Marunouchi”プロデューサー
東京都生まれ。慶応大学中退。 99年に様々なジャンルの若手を描いたノンフィクション作品「若き挑戦者たち」を出版。その後、雑誌ポカラのプロデューサーを務める。 2000年と米、NYにてコンサルティング会社を設立。2002年より東京に拠点を戻す。現在は、山梨県・八ヶ岳南麓の『日本一の朝プロジェクト』、東京・丸の内の『朝EXPO in Marunouchi』、北海道での地域映画プロジェクト、歌舞伎のブランディング、など、数多くの地域のプロデュース・企業ブランディングなどを手がける。

李東勲
石巻専修大学准教授
専修大学大学院経営学研究科
博士(経営学)取得
専修大学経営学部、千葉商科大学商経学部
関東学院大学経済学部、明海大学不動産学部非常勤講師を経て現職
専門はマーケティング論・中小企業論
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まちの巻
7/29(金)15:30~17:00
地域・不動産的見地から、まちの価値をどう高めていくかを馬場正尊(東北芸術工科大学准教授/OpenA)と饗庭伸(首都大学東京准教授)が地元商店主と語ります。
モデレーター:西田司

馬場正尊
1968年佐賀県生まれ。1994年早稲田大学大学院修了後、博報堂に入社。後に大学院博士課程に復学、雑誌『A』の出版も手がける。機能不全に陥ったビルや都市を再生する「Rプロジェクト」、新しい視点で都心の物件を掘り起こす「東京R不動産」など、建築を多角的な目で捉えて活動する。 

饗庭伸
首都大学東京 都市環境学研究科建築学専攻 准教授(専門:都市計画、まちづくり、都市政策) 1971年兵庫生まれ。早稲田大学建築学科を卒業後、川崎市役所専門調査員、早稲田大学助手を経て2000年10月より現職。山形県鶴岡市のマスタープラン作成や中心市街地の活性化、東京都内の事前復興まちづくりに関わる。2004年に「都市をたたむための都市計画技術」で日本建築学会の論文競技入選、2006年に「都市をたたむ時代のアーバンデザイン原理」で地域開発センター500号記念懸賞論文優秀賞受賞。近著に、『まちづくりデザインゲーム』(共著、学芸出版社、2005年)、『地域協働の科学』(共著、成文堂、2005年)など。
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地域資源の巻
7/30(土) 15:30~17:00
自然気候や歴史、資源など石巻を取り巻く地域の特性からまちを語ります。パリ在住の建築家、田根剛(DORELL.GHOTMEH.TANE)と気鋭の照明デザイナー岡安泉(岡安泉照明設計事務所)他石巻人が出演予定です。
モデレーター:西田司

田根剛
1979年東京生まれ
北海道工業大学芸術工学部建築学科卒業後デンマーク王立アカデミー客員研究員。
2006年、ダン・ドレル、リナ・ゴットメと共にD.G.T Architects設立。

岡安泉
1972年生。1994年、日本大学農獣医学部を卒業し、生物系特定産業技術研究推進機構に勤務。1999年、アイティーエルに入社、照明技術に携わる。2003年、super robotに参加。2005 年にismi design officeを設立。2007年に岡安泉照明設計事務所に改称。主な仕事に、ルイ・ヴィトン京都大丸店のファサード、美容室「afloat-f」(設計:永山祐子建築設計)やNadiff a/p/a/r/tの空間照明、隈研吾建築設計事務所「casa umbrella」(ミラノトリエンナーレ2008)の展示照明、反射鏡付きハロゲンランプ、ピンホールダウンライトはじめ照明・展示用器具のプロダクトなど。

 
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サブカルチャーの巻
7/30(土) 18:30~20:00
石巻に欠かせない音楽やマンガの存在。サブカルチャーを通して見える石巻らしさとはなにかについて飯田昭雄(ワイデンアンドケネディ東京)と榊顯雄(Coffee Shop Roots)他が語り合う。
モデレーター:飯田昭雄


飯田昭雄
1967年青森県八戸市生まれ。多摩美術大学建築科卒業後、出版社へ就職。キャラクターブームの火付け役となる「AMAZING CHARACHERS」「MASSIVE ACTION FIGURE」を手がける。フリーの編集者/キュレーターとして数々の書籍やエキジビションをプロデュースした後、2005年W+K TOKYO入社。グラフィティライターからスケーター、ストリートアーティストまで東京ストリートアンダーグラウンドに幅広い人脈を持つ。現在はプロデューサー/アートバイヤーとしてナイキを中心としたプロジェクトにおいて、アーティストのフィーチャーを手がける。
また、A BATHING APE の15 周年記念本(RIZZOLI 刊) の編集&アートディレクション等、東京サブカルチャーに深く関わる。趣味は温泉めぐり(特にアメリカの温泉)。

 

【2011/07/26】

シンポジウムday1レポート「ひとの巻」

7月24日 「ひとの巻」
パネラー 真野洋介(東京工業大学/voiceインタビューアー)
阿部久利(石巻中央「松竹」/voice登場者)
松村豪太(NPO石巻スポーツ振興サポートセンター/voice登場者)
飯田昭雄(ワイデン+ケネディ/voice編集長)

僅か2日前に復旧された石巻中央の元クラブ「モンロー」古いコンクリの建物の一角でシンポジウムは静かに始まった。初日のテーマは「ひとの巻」。人の思いや営みを丁寧に聞き取り、住人が思う「わたしの石巻」を集めると、その延長に震災で一時的に見えなくなっている町が、本当に必要な姿で見えてくるのではないかという示唆の上つくられたフリーペーパー「voice」創刊号に関わった方々に、人の声を通して、今の石巻を知るトークが行なわれた。

(以下公開トーク抜粋)

真野 以前阪神の震災5ヶ月後に現地入りし、地元の人の話を聞いた。そこでの経験から、今回は早めに被災地に入り、地元の声を集めることをはじめた。「後から言う事と遠くから言う事と現場は違う」結果として人が居ない町になることは町としても困る。今回の震災後の町のマスタープランはこれからでてくると思うが、そのようなプランがでてきたとしても、そこに町の営みや人の思いが途切れていては意味がない。震災後に地元の声を集めていくことで「今一瞬みえなくなっているまちや、本来あったはずのものや、震災後の印象や未来への展望など10人いれば10通りの石巻を、これからの石巻を考える土壌にのせ、そこで生活する人々の声をまちに織り込んでいく時間が今ともいえる。

阿部 実際僕らの年齢だと震災前はまちづくりは行政頼みで、あまり興味はなかった。震災後、本当に立ち上がるのが大変で、でもそこから立ち上がるためには動ける人間から動こうと思った。行政に任せて時間が経ってしまう間に動こうと。町の見た目がきれいになってもそこに町のプレイヤーがいなければ意味がないと思っている。イニシアチブを若いひとが取ってまちをかえて行く、それがかたちになるようなまちづくりを積極的に行なえればと考えている。

松村 震災後自力で復旧をおこなってみると、一日片付ければ朝見えていなかった床が夕方には見えて来るという感動を実体験としてもった。「動けば変わる」という実感をもてたことは大きい。ボランティアの方々と一緒に動いていると、面白い意見や外からの知見をもらい、それまで気づかなかったことを発見することが多く外とのコミュニケーションを体感。今回石巻はボランティア元年と思っている。町を歩いていて外からの来た人と普通に挨拶が生まれるようになったことで、町の変化を体感している。

飯田:東京で働く東北人として、できることからしていこうという思いで、まずこどもたちに支援物資を届けることからはじめた。そこから目に見えるつながりを実感し、とにかく現場の声を届けたいと思った。声を地元にも東京にも届けていきたい。

阿部:地域でサポートする事が大切。新しい産業を産む土壌は地域でつくる。地元と外部が力をあわせておこなうことで可能なことも増えると考えている。

真野:阪神大震災のときは、神戸市は大きな自治体で復興事業の区域も絞られていたため、しっかり動いた反面、地元にとって上から決められてしまった事が多い。今回は被災した範囲が広すぎることもあって、逆に自分たちでできる余地があるという意味では良い状況ともいえる。

会場(町会長):若いプレーヤーとの意見が出ているが、年長者とどのように接点をもつか。若い人が、あまりいない現状をどうするのか。また、現在住民ゼロの地区もある中でどうしていくのかがまだ見えない。

真野:いろんな世代、多様な人々をつないで、広げていくことが大切。勢いにのっていく動きと、じっくりと浸透させていく動きの両方が必要なのではないかと考えている。「voice」インタビューで共通する声は、「まちに人が住む、まちがたのしくなる、まちが魅力的になる、そしてまちに人が集まってくる」事が大切と皆考えている。

会場(東北大学学生/石巻市住吉出身):石巻に住んでいたけれど、買い物等は仙台に行っていた。まちのことはあまり知らなかった。高校生なども親しみがあるような、楽しめるようなまちになってほしいと思っている。

松村:まちや人は、本当はおもしろい。石巻のおもしろい人たちはあまり表に出てこない。これは自戒もふくめ、自分たちだけで完結せずどんどん外に出して発信して行くべき。

飯田:僕にとって、くるたびに好きになるまち。ひと、自然、のこってる風情、ひとの声等、日々感じている事を伝えることができればと思い、それをやっている。ひととの出会い。今の石巻だから感じられる事。スピード感とともに地に足をつけながらやっていきたいと思う。

会場:これまで活動してきて、今感じている事や、難しいなと思っている事は?

阿部:枠にとらわれた既成の概念ではなく、新しい枠組みで事を進めて行くときに感じる難しさは、考えている事をどこにどのように持っていくと実現するのかということ。これはいろいろな人に知識を借りて進めて行きたい。

会場:このような活動から新しくできたつながりは?

阿部:那須町から講演の依頼があり、講演を行ってきた。石巻と那須がコラボレーションしていく提案も受けておりここからは商工会も含めて進めて行きたい。

会場(東北大学学生):市の復興計画に市民の意見をどうつなげていくかという活動を研究室で行なっている。住民の皆さんに声を聞いているなかで、年長者のなかでも、若い人がやって行くべきという意見と、そうではないという意見がある。力と財力と経験がある年長者をどう巻き込んで行くかを考えることも必要なのではないか。

会場(東京理科大学学生):4月にピースボードで来石。自分たちが活動したその後のまちがどう変わったのかも気になっていて、もう一度来てみたかった。今回待ちを回まわってきて、自分が掃除したところがこう変わったんだなあと感動的だった。ボランティアの役割が変わってきた今、今後ボランティアに何を期待するか。

松村:ボランティアで関わった人たちには、面白く、精力的な人たちが多かった。そういうひとに石巻に来てもらって新しい産業や事業を興してもらい、石巻にあらたな風を吹き込んでもらいたい。それが今の石巻の既存のものを追い出さずにどう両立させて行くかをうまくやって行けるように考えていきたい。

会場(東京理科大:栢木先生):まちの声をくみあげていこうという活動はのばしていってほしい。

真野:復興の動きは、インフラなど一部のものを除き、すべてをまとめてひとつの動きにする必要はない。賑わいができるにはいろんな活動がそれぞれ手を広げていき、ぶつかったり摩擦が起きたり反応したりしながらも、それぞれが頑張り横に連携していって、はじめてまちの賑わいができると考えている。

モデレーター:西田司(ishinomaki2.0)
レポート:梅田綾(ishinomaki2.0)
写真:小泉要一(ishinomaki2.0)