9/14 Red Bull Music Academy BASS CAMP IRORI石巻で開催!

PLAY, JAPAN! Red Bull Music Academyの集大成としておこなわれるBASS CAMP。
そのプログラムの初日9月14日はIRORI石巻にてレクチャーイベントを開催。
講師として、カリフォルニアを拠点に活動するMC / プロデューサーShing02を迎えます。

詳しくは
http://www.redbullmusicacademy.jp/event/90914red-bull-music-academy-bass-camp-2012/

PLAY, JAPAN! Red Bull Music Academy
BASS CAMP 2012 in TOHOKU
レクチャー講師:Shing02 インタビュアー:原雅明
2012.9.14.FRI 18:00 – 20:00
IRORI石巻(石巻市中央 2-10-2 新田屋ビル1階)

まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト 第4夜「ローカルパワーNOW2」レポート

STAND UP WEEK 2012企画「まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト」最終夜である第4夜は7月29日(日)に開催され、会場である社会福祉協議会ビルには非常に多くの人たちが集まりました。テーマは「ローカルパワーNOW2」。
前半はぺちゃくちゃナイト形式で20枚のスライドを20秒ずつ使ってプレゼンテーション、後半はクロストークという構成。

登壇者の紹介です。
真野洋介(東京工業大学准教授)

近江弘一(石巻日日新聞社長)

多田一彦(遠野まごころネット代表)

田村真菜(ETIC./みちのく仕事)

田根剛(DGT architects)

403archtecture{dajiba}

今野雅彦(ラジオ石巻)

丸川正吾(Archtiects for Humanity)

立石沙織(日和アートセンター)

石森洋史(Yahoo!石巻復興ベース)

浅野太一郎(秋田屋)

平塚隆一郎(山徳平塚水産社長)

後半クロストーク
西田:一番最初に登壇いただいた真野先生のほうに全体を通して今日の感想か、もしくはこういうことちょっと訊いてみたいということがあればと思って、マイクをまわしてよろしいですか。

真野:そうですね。私はやっぱり自分が前半だったので、近江社長の次の発表がすごく印象に残りまして。近江社長にお訊きしたいのが、印象に残った言葉としてはですね、地域を磨きなおすためのもう一つのツールになるんじゃないかっていうお話をされたんですけど、そういう発想っていうのはいつ出てきたんでしょうか、と。

近江:2006年に父親が亡くなるんですけど、父親が亡くなる前に話したことは「お前、地域とどういう関わりしてんの?」と、言われたことがあって。僕はずっと関東とか海外もそうですけど、外に行ってマーケティングしていたので、週末しか石巻に帰ってこなかった。ちょっとずつか変わって色んなことをやってきてはいましたけど。父の写真をを見たときに…そのとき48でした。自分の人生で48ってどの辺かって言うと親父の写真で見るともう終末に近いんです。ってことはやっぱり死を意識して生きて行かなきゃいけないときに、地域ってなんなのかって言ったときに、受け継いでいく、自分のDNAも含めて地域のDNAを次の世代に持ってくる活動が絶対必要だ。
 ということで、コバルトーレはスポーツを通して地域を活性化していくようにしよう。日日新聞は情報、新聞を通して地域を活性化していく方法として、二つの仕組みが出来た。これから、震災がおきた中で地域に生かされてきた二つの活動が生きて行くためには地域を元気づけなきゃいけないので、待ってられないんです。だから、僕は地域に直接入っていって、ソフトもハードもやっていこうっていうことで、磨きなおすタイミングは今だと思ってます。

真野:次はですね、多田さんへの質問ですね。印象に残った言葉が「復興っていうのはめちゃくちゃなネットワークの中から好きに選択すればいい。」私も非常にそうだなと思ったんですが、実際は復興の事業とか行政関係だと何かこう秩序を求めて一本化するとか、むしろ逆の多様性が阻害される流れが出来やすいんですけど、そこを解消する方法とか、それはそれで、地元で動く部分はもっと自由にできるんじゃないかとかいうお考えはないのでしょうか。

多田:まあ、全部できるんじゃないかなと思うんですけど。最初に縄張りとか垣根を感じたので、それをとる、で、現地の色んな人たちの何をしたいか、何が狙いかとか、夢とか、それをプレゼンで作ったんですね。で、遠野のまごころネットを通じて、色んな人が入っているっていうところを、そんなことじゃなくしようと思ったんです。で、その人達のプレゼンテーションつくって、どんどん発表してもらって、一緒にやれる人たちを募集したんですね。今年の一月にそれを始めて、どこを通さないとっていう関係を排除しちゃおうと思ったんです。それぞれがそれぞれを「いいね!」と感じ合ったら行きゃいいと。決まったところに活かそうなんていうのはとんでもない話で。垣根をとるのが大事かなと。

西田:逆に今日のプレゼンをきいて、近江社長のほうからこういうことを他の人に訊いてみたい、もしくはこういうことを感じたっていうあたりはいかがでしょうか。

近江:僕は地元で生まれて、もっと田舎ですけど、今回実家は海水浴場の目の前にあって、波をかぶった状態で壊滅して、もう故郷がないんです。だけど、地域としてはあるんですね。僕がこの地域を次の世代に渡すいろんなものとか知見とか、考え方とかを遺すことで生きていきいと思って、やっているんですけど。だから、みなさん色んな人がきてくれて、頑張ってくれてすごく心強いし、だけど逆にいうと、ここにいる人たち、この地域が本当にこの先自立していける時代がきたときにちゃんと動ける仕組みとか、そういったものを一緒によく考えていってほしいなというのが本当の思いです。
 だから、疑心暗鬼にはなってないですけど、そのときだけじゃなく、復興の時だけじゃなくて、自分達が自走できるものを一緒に作っていってもらいたいなと。

西田:今、近江社長のほうから「仕組み」という話が出ましたけれども、先ほど、多田さんは仕組みに関してのプレゼンテーションがあったと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。

多田:本当はこうじゃないほうがいいんじゃないかって思っていることがたくさんあるわけですよ。行政の中でも思っている人がいるだろうし、県の人は国に対して思っていたり、市の人は県に対して思ってたり。それが結構理想的な形だったりするわけですけど。そこに踏み込まないんですよね。なんでそこに踏み込まないのかな。それは直したほうがいい。批判じゃなくて提案として、もっとこうしたほうがいいじゃないのかっていう風にもう一つ自分が思っている世界にみんなで踏み込んでみる。ということを今しないと。どんどんどんどんだめになる。そんな危機感がありますね。

西田:逆に今日のプレゼンテーションをきいて、この人のこれを今の多田さんの話のような感じで気になったポイントを挙げていただければ。

多田:全部気になりました。まず、町が素晴らしいですよね。古い建物とかあってものすごくうらやましいなって。例えば岩手だと大鎚とか、陸前高田とかっていうのはこういうところさえもないんですよ。なんにもないんですよ。だから、チャレンジするベースをどうやってつくるかと、今考えていて、チャレンジする糸っていうのを作ろうかと思っているんです。何かを始めたい人が気軽にできるプレハブとか、403の方々とかすごく興味あったんですけど。
 なぜ、こういう風に人材が集まるのか。石巻社協のアベちゃんって知ってます?彼はですね、どっか行くとボランティアを仙台からパクってきたっていうんですよ。私も石巻から人をパクっていきたいなと思ているんですけれども。(笑)

西田:人をパクるあたりからみちのく仕事の田村さん、いかがでしょうか。適材適所に人が繋がるって難しいと思うんですけれども、そういう動きをずっとされていて、今日もいろんな方がいろんなモチベーションでプレゼンテーションしていただいたんですけど、きいていて町との繋げ方とか、その辺りはいかがですか。

田村:みちのく仕事自体、東京の人をある種パクるような動きではあるんですけれども。もともとその人の中にある種だったりとか、社会問題に対しての関心だったりとか、そういうのがこの震災をきっかけに芽吹いた人って結構いると思っていて、そういう人をこちらにお繋ぎして、ここで起きている問題は他の地域でも適用出来るものだと思うので、ここでチャレンジしてまた地元に戻る、でもいいですし、こっちにずっと根付くでもいいですけど、問題解決の輪に入っていくそういうことをやっていきたいと思っていますね。

西田:田村さんのほうで今日のプレゼンをきいてこのひとの話をきいてみたいっていうことはありますか。

田村:立石さんのが気になって。地域を興すというところでアートの力は重要な気がしていて着目しているので、気になりました。

西田:今日の中では一番アートな立ち位置なので。アートって被災後すぐに必要にされるのかっていうときに微妙な立場があったと思うんですよ。食料や住む場所が必要だとか。その次の段階になって、文化をつくるだとか地域をつくるといったときにそういう役割ってあると思うので、やられていて、町の人と会話をしていて感じることとか、来られる方の反応とか。そういうのはいかがですか。

立石:アートっていうものはやっぱり全員に必要とされるものではないような気がしているんですね、最近。でも、全員ではなくても、必ずどこにでもアートを必要としている人はいるし、それをその人の人生の中で、必要としている時期もくると思うんです。そういうときに日和アートセンターみたいに常時その場所に、その町に根付いて、そこの場所にあって、その人のタイミングでアートっていうものに触れられる機会を作れたらいいなって最近思っています。
 地域をアートや町おこしみたいな活動っていういうのは全国にたくさんあると思うんですけれども、私はアーティストが町に何か起こすだけじゃなくて、町の人からアーティストは何かを得て、それを課題に自分の中での問題を解決していく、そういった双方向の関係性が絶対あると思っていて、町の中でアートが出来ることってあるんではないかと思っています。

西田:双方向っていいキーワードだと思うんですけれども、例えば田根さんはフランスと石巻、石森さんはつい先日までは東京と石巻を繋ぐという活動をやられたりしているんですけれども、どちらの目線も持っている石森さんから見ていて、復興とか自分の力で出来ることというあたりはいかがですか。

石森:僕はかなり特殊な立場の人間だったと思っています。石巻出身で、2007年にYahoo!に入社して、それから5年間東京で仕事をしてきました。そもそも、東京に行きたくなかったんですよね。就職活動もこっちでしていましたし、縁あってYahoo!でお仕事することになったんですけれども、そのとき思ったのは東京に行って、日本一のインターネットの会社に行って、インターネットのスキルとか、やり方を身につけて石巻に帰って来たいなと思って5年前に就職したんですね。こういった形で地元に帰ってくるとは思わなくて、まずみんな思うと思うんですけど「石巻帰りてぇ~」みたいな仕事をしているんですよ、東京で。東京での地元の友達に会うと。そういった子達も最初は仙台にいって、仕事して、段階踏む感じで石巻に帰る形になると思うんですけど、僕の場合はいきなり帰って来てしまった。そのとき思ったのは東京でそこそこ友達とか出来て、それなりに楽しかったんですけれども、社会人になって石巻に帰ってくる今の段階で町中にどれだけ知り合いとか友達みたいな人が出来るのかなって不安だったんですよ。なんですけど、この一年間石巻の復興のためにそれなりに活動してきたなかで、沢山の方に出会えたこと。いまこうやって帰って来てみると、本当に沢山の友達や知り合いがいて、すごくありがたいなと思っています。
 で、石巻がそういう町になったんだなと、いうふうに思いました。こういったシンポジウムの場に顔を出せば、沢山の知り合いができたりとか、今からがんばればもっと沢山の方と仲良くなれるとか。そういった場になっているのがすごく嬉しく思いますね。

西田:逆に地元側からの目線で今日のような色んな業種で且つ、石巻出身の人も入れば、外から入ってきている人もいる。そこでのコミュニケーションに関してどう思われますか。

浅野:私は震災前は仙台で働いていたんですけども、震災後にきてわが家の片づけやら何やらで仕事を辞めて家に戻ってきた立場なので、ずっと丸々石巻ということではないんですけれども。やっぱ生まれ育った石巻で、震災前の石巻を知っているから、多種多様な人たちが本当に石巻のために考えてきてくれて、尽力してくださっていることに非常に驚いています。
 私自身は自分の仕事ということで、復興という仕事に今はそんなに携われてないんですけれども、いずれは自分のうちの災害住宅のプロジェクトに携わる心づもりなのでそのときに復興の手助けをしてくださっている方々に人脈を作ってより良い石巻を作っていけたらと思っております。

西田:平塚社長、先ほど近江社長もどう継続していくのかという投げかけをして帰っていかれましたけれども、今日の話を聞いて、感じたことであるとか、逆に今日きた人たちにきいてみたいこととか。

平塚:今日の話ということではないんですけど、私が感じているのは、私は学生時代4年間と就職して5年、9年間東京にいて、そのあと石巻に来て。最初、石高(石巻高等学校)をでて、東京に行ったときに、「東京ってなんてワクワクするところなんだろう」って思ったんですよ。金さえあればという感じですけど。(笑)すごい刺激的だった。その感覚が今、震災後だったら、このようなシンポジウムとかいろいろ(松村)豪太くんから誘われて、出てみるんですけれども、無料でこんなに知的な刺激が得られる場所が石巻にできるっていうのはすごく信じられないような思いがあります。
 業界の中の将来構想ワーキンググループっていう中で僕より下の子たちを集めて勉強会というか、いろいろ提言をまとめてるんですけど、業界の中で集まっちゃうので、、もうちょっと僕がサッカーでいうとボランチというかリンクマンみたいな形で縦横、上の世代も知っているし若い子達も集めているし、いろんなところからきている人たちもいるし、他の業界の仲間もいるし、それがリンクする場所になって、少なくとも我々の業界の若い子達に浸透させていけたらなと思いますけど。

西田:横のつながりっていったときに今日は石巻に全く関わっていないフランスから来られている田根さんと浜松から来られている403archtecureの人たちに、田根さんはどっちかっていうと外から石巻をリサーチされていますけれども、403の人たちは今日は完全に外からシンポジウムに来たと思うんですけど、この人にこれを訊いてみたい、もしくは今日の感想を投げ込みたいというのがあれば一言もらってもいいですか。

辻(403):ありがとうございました。辻と申します。僕もこういうような自然と笑いの起こるざっくばらんなシンポジウムというのを浜松で体験したこともないし、中心市街地でいろいろやるんですけど、どうしても堅苦しくなってしまうというか、「やろうぜ!」みたいな感じで口外してしまうことが多くてなんか違うなと思っていて。プレゼンテーションで町づくりのそれっぽい話しなきゃ、みたいなことをやっている中で趣味の神社のことを言っちゃうとか、結構僕は衝撃的で、なんでこういう場ができるのかな、建築物も町づくりもざっくばらんに出来ないかなと。
 浜松は中心市街地から空洞化して、全国的に同じような事例として掲げられることが多いんですけれど、まだあんまりみなさん困っていらっしゃらなくて、地権者の方やお年寄りの方も。なので、あんまりなにかを共有するみたいなことがないんですよね。だから逆に東北の方々というのは一度命を揺さぶられるような経験を通して、一回みんなリセットされてざっくばらんに話していいような環境が出来ていて、それにまちづくりが乗っかって、僕にとってはうらやましい状況が出来ていたなあと思って。ひたすら感動しております。

真野:でも、これは石巻の全部の雰囲気がこうなわけではないんですよ。だから、こういうコミュニティやネットワークがあるよっていうひとつの面だと。でもこんな面もなかなか他の場所ではないのではないかと、一年くらいこの地域に関わって思っていますし。何がいいのかなと思うとさっきのぺちゃくちゃナイトで丸川さんがこのスライドは建築家がしゃべりすぎないようにするツールだっていうのはまさにそうで、外から来る人っていうのは「これやりましょう」とか「これやりませんか」とかどんどん持ってくるけど、それは地域の人が一緒にやろうというコミュニケーションの余地っていうのは我々が作っているっていうよりも、さっきの浅野さんじゃないけど、地域の人が一緒にやろうというスペースを残していく。そういうのがあるから出来るんで、なかなか難しいんですけど、例えば私が松村豪太さんと話をしたときにこの人は私たちがしゃべったり、考えたりしたことに反応する余地を持っているなとわかったから、その後動きが出来たと思う。それが、どうやってわかるか、探るかがわからないし。相手側のコミュニケーションのスペースみたいなものがあって、これから発掘できるかもしれないし。

辻(403):そうですよ。ただ、町づくりのひとつひとつって偶然で片付けられちゃうというか、丸亀の事例や石巻でもそうかもしれないんですけど、浜松で僕が携わっていることもある種偶然で人のネットワークがあって、たまたま僕がここにいる。でも偶然で片付けちゃうと誰もそれを参考に出来なくなっちゃうから、どういうふうに人が繋がってということとか、もうちょっと活動自体をプレゼンテーションする。こういうざっくばらんな場の作り方をそれで終わらせるんじゃなくて、他の日本の困っている人たちに伝えるべきじゃないかなと僕は思いました。
 だから、偶然で片付けたくない。震災後、来たのも偶然だと思うけど、僕がそこで羨ましいって思っちゃうとそこで終わっちゃう。あんまり線を引きたくない。それは今、日本で町づくりに携わっている人が意識しないといけないことなんじゃないかなと思ってます。だから、もっと横で繋がることが重要かなと思います。
 そういう意味でみなさんのお話を伺っていて、思っていたのは、活力がある方だなというのはありますけど、それをメッセージとして発信しようという試みがあって、それが真野先生のおっしゃっていた人が入り込む余白として機能しているような気がしてます。もう少し具体的にいうと、『VOICE』というようなフリーペーパーを読ませて頂いて、すごく丁寧な作り方をされていますし、みなさんの熱意っていうのがそこに刻まれていて、読んだ人にこれに関わってみたいな思わせるような
メディアがちゃんと作られてるっていうのが今の石巻のすごさであると思う。それを続けていくこと、仕組みが必要ですけど、今は一部かもしれないですけど、石巻のもっと多くの人に伝わるものになるのかなと思っています。それで、一つちょっとお訊きしたいのが、根本的な質問になってしまうかもしれませんが、発信しようと思ったのはどういうきっかけなんでしょうか。

西田:今野さん、先ほど、ローカルメディアの中に石巻の人が参加できる枠が一番多いっていう話をされて、メディアと呼びながら、自分の発信ではなくて、いろんな人が発信出来る場を作っているという風に感じたんですけど、その辺りをもう少し解説を。

今野:ラジオ局を立ち上げた人にはもちろんしゃべる権利はあると思うんです。しかし、その人だけがしゃべりすぎたんでは聴いているほうは飽きちゃうんですよね。いろんな考え方、歴史、経済、これからのこと、政治、スポーツ、学術といろんな町の特色がバライティに富んでいるのが石巻だと思っているんです。41年住んでみてわかることっていうのが水産もあれば農業もある。公務員もいる、商店もある。交通網もきちっとある。逆にない町を私たちはもっと学ぶべきなのではないのかなと。これだけ自由に、不便なくやってこれたのが石巻。逆に甘えてた環境があったんじゃないのかなと。海もあり山もあり、大雪も降らない、暑すぎない。いろいろと恵まれていた町に我々は住んでいたと自覚をして、不便な状態をした震災後の石巻でどうやって元の町以上に作り上げていくべきなのだろうかという点では、いろんな考え方を持った人たちをラジオに沢山出させてあげるということが非常に大切でして。
 また、石巻2.0さんにも毎週水曜日12時30分からやっていただいているんですが、私の考えがそのまま2.0さんにも反映になっていて、いろんなゲストのお話であるとか、町の取り組みの様子が見えるようなラジオ番組をやっていただいてるんですよね。そういったことを普段日頃から心がけております。私はあんまりしゃべるのは得意ではないので、仕組みとして出させてあげるってことには一生懸命お手伝いしたいと思っております。
 今日のこの場もできれば放送したほうがよかったのかな、なんて。(笑)今後、もしあれば、相談に乗っていただきたいと思います。

西田:ぜひぜひ。
今、いろんな地域の中で比較してみると石巻は意外にあるものもある。ないものはない。といってましたけど、先ほど田根さんがヨーロッパの10万人都市も日本の10万人都市も実は石巻を考えるにあたっては参考事例になるんではないか。それは解像度を上げてみると違いもあるし、同じところもあるし、そしたらもしかしたら学ぶところもあるんじゃないかっていう話をちょっとされてましたけど。そういうふうに思ったモチベーションはどうですかね。

田根:自分が日本人ではあるんだけれども、ここにいない。でも、同時にこの時期に日本で震災が起きたっていうときに何が起こったかわからないけれども、自分の国で大変なことが起こったわけで、帰って来た。そのときに多分、皆さん多くの方が自分が何が出来るかを探した時期があったかもしれないけれども、だからもしかしたら、自分が自分が、ではなくて自分から出来ることで人が巻き込まれていくことってことが起こったのかなと思っていて。だから、今回もそうなんですけれども、石巻にいろんな人が人を呼んで、人がまた人を呼んでいって、来るたびにドキドキしたり、ワクワクしたり、お会いする方たちに、人の温度が上がったようなところに、普通に生活していることでは学べない、知らなかったこと、考えたことがなかったこと、または知ったことで自分の心に響くことがあったりする。そうやって自分からやることで何かが生まれてくるっていうのがあったときにやっぱり自分はまたパリに戻って仕事をしなきゃいけない。仕事しているんだけど、その傍ら出来ることはあるだろうと思っていた。
 日本が近代化していく過程でみんな頑張って働いて、頑張って家を買って、、頑張って家族を養ってっていう結果、日本の町並みが50年経って出来上がった。多分、東京であったり、仙台であったり、名古屋であったり大きな街はこれからどんどん都市化が進んで人口も増えるかもしれない。または、高齢化が進んでいる集落の町はかなり厳しい現実が待っているかもしれない。たけど、石巻っていうと15万人でこれだけ世代の層も都市とかわらなく揃っている。同時にいろんな多種多様な職業の選択の自由も。
 そういう町が今後どうなっていくかっていうことがあんまり考えられてないし、または、今後どんな未来があるかっていうこともまだまだわからないんじゃないかってときに、たまたま10万人というこれくらいの規模の町がどうやってヨーロッパで動いているんだろうと思ってみたら、ヨーロッパでも、南も北も東も西も全く違う環境があって、例えば南を見たら、大きな街が小さな集落しかない。北欧なんかも同じ。または真ん中のフランスやドイツであったり、東のルーマニアの方に行くと10万人都市っていうのはすごくいっぱいある。その違いは何だろうかって見ていくと国の政策によって地域の資源を使って工業化をした国々、フランスやドイツやポーランドなんかは工業化によって10万人食べさせていくだけの規模の町が出来た。で、北欧なんかでは10万人の都市っていうのもあるんですけれども、そこは7-8割がサービス業で成り立っているという現状があって、サービス業といっても物を売って食べているわけじゃなくて、社会福祉サービスといって、町の人が町の人のために、町の人を育てるために働いているのがすごく多いっていうと、じゃあ、10万人っていってもあくせく働かずに、物を売ってお金を儲けなくても、10万人が幸せに食べていかれる環境があるんだっていうのがひとつ。
で、もちろん税金の問題とか違うんですけれども、もしかしたら、今後大きな街に人が住み、小さな集落は本当に厳しくなるかはだれも予想できない。けれども、これくらいの規模であれば都会にいって小さなアパートに住んで頑張って働かなくても、ここで生きていける温かさであったり、出会う人の温度であったりは違ってもいいんじゃないかっていうのもあると思う。そのときにじゃあ、自分達が建築家として例えば30年後、自分が60になったときに、石巻の未来がどうなっているんだろうかとか、東北の30年後はどうなっているんだろう、または日本の30年後はどういう風になっているのかをイメージできるかどうかチャレンジできないかなっていうのがきっかけです。ヨーロッパと見たり、日本と見たり、なにかきっかけがわかってくることがあればいいなと思って今進めています。

西田:今の話のようにサービス業の町があったり、鉱物資源の町があったりという中で、石巻はいろいろ魅力があるという話もでてましたけど、先ほど、丸川さんは新しい雇用とか、ただのハードをつくるだけではなくて、そこで生きていくための仕事の仕組みを作っていきたいという話をされてましたけど、今の時点でこういうこと考えているというのがあれば。

丸川:昨年一年間は瓦礫の撤去とか、ヘドロの撤去とかに皆さん頑張られていて、私自身も関わっていく中で、自立的にやっていくためには仕事というか、きっちり生業に繋がっていかないとだめだろうというのがありまして、私自身もそれを感じています。
 私はたまたまですが、石巻で職を得てというときに、いま、頑張っていろいろやられようとされている方がそういうところでサポートを必要としているのを感じました。我々自身もどこまで出来るかは手探りの状態ですけれども、実際に仮設住宅で被災された方が遠くのスーパーまで買いにいくのが大変だから、手前の所で買い回りできるところがあるといいねっていうアイディアがあって、そこでビジネスを始めようとして、箱があったとしても、それが自立的に回っていくためにはもう少しサポートが必要で、マーケティングであったりとか、販売のところで工夫などを地元の人たちの発意をいかに継続的にアクセルを循環させていくことできるかというところに我々はチャレンジしていきたいなあと思っております。

西田:なるほど。
ではここで、会場のほうから、ちょうど一番前に座っている石巻2.0代表の松村さんから、今日話の中で訊いてみたいことや、逆にコメント等があれば。

松村:石巻2.0松村です。今日は本当に素敵なお話沢山聴かせていただきありがとうございました。
我々、石巻2.0はオープンでリベラルな空間を作る。その手法としては多くの人を巻き込みながら、人の誘致というキーワードで活動しているんですけれども、その中でリベラルさというところで多田さんのおっしゃった、縄張りというところをどんどん壊していくという言葉がとても響いたんですね。まさに我々が今やっているのは言葉にするとそういうことなのかなっていうふうに思いました。
 ただ、逆に考えると、僕は震災前は何も考えていなかったただの石巻の一人の若者だったんですけれども、今、多くの方々に助けられて活動をしています。自分のほうで縄張りっていうのが存在しているって決めつけちゃうっていうのもあるような気がするんですよね。
 そこで、例えばここ、本当に素敵な空間です、天井も高くて、昔のアメリカ映画で使われているようなセットのような。この社会福祉協議会ビル、決してオープンに使われていたわけじゃないんですね。きっと社会福祉協議会って難しい組織で我々が行ってもけんもほろろな相手をされるだろうというふうに勝手に考えていたんです。でも、いろんなつながりが出来た方を頼って飛び込んできたら、意外と素晴らしい場として使わせていただけた。こういう空間の利用ってこれからとても必要なことな気がするんですよね。そういう点でも、今日はとてもたくさんのヒントを頂いた気がします。
 あとは、人の誘致をいう点なんですけれども、我々、こうやって沢山の人を巻き込んでいるんですけれども、一番苦手としている、今、やらなきゃいけないのが若者、石巻の20代、30代の方なんですね。そういう点では今日は浅野太一郎さんに登壇していただいて、こうやって話していただいたのがとても画期的な、もしかしたら、2.0史上で大事な1ページかもしれないんです、今日は。ただ、みなさんに本当に素晴らしい話をしていただいた中で僕も含め、本当にたくさんのアイディアをもらったんですけれども、多くの方にとって今日何を話していたかというと、神社の話っていうところでみんな帰ってしまう気がするんです。そういう点ではちょっと失敗したかなという気もするんですけれども。(笑)
 これからもめげずにいろんな人を巻き込んでいきたいなと思っております。みなさんありがとうございます。

西田:他に会場のほうで話をきいて、今日ここで訊いてみたいという方は、いかがでしょうか。
・・・レイダースの鈴木社長が来られているので、ここでマイクを振れっていう合図がきているので。(笑)

小泉:一回目のシンポジウムきていただいたじゃないですか。1回目は「ローカルパワーNOW」だったんで、2回目「ローカルパワーNOW2」という安易な付け方だったんですけど、2回見てらっしゃって、結構地元からセンスショップを発信して、インターネット使って世界を日本中を相手に販売をしている鈴木さんから見て、どう思ったのか、一回目から気になっていて、訊きたかったんですけど。というわけで是非、一言いただければと。

鈴木:レイダースの鈴木と申します。僕、ただいろんな人のいろんな考え方をただ聴きに来たいというだけで聴きに来てたので、なんの意見もあるわけでもなく、急に振られてもちょっとびっくりしているだけなんですけど。いろんなお話をきけて、1回目と2回目と、ありがとうございました。

真野:近江社長が最後に言って帰られた、この後の何を残すかという話で、我々も多分いろんなやり方でメディアだったり、建物だったり、制度だったりいろんなアプローチをしているんですけど、結局それをやって受ける相手なり、その時の経験というか、今来ている子供さんも含めて、そこになにか起これば続いていくというか。今やっている活動を続けることが望ましいことではなくて、その先に続くようなものを残すのが難しい。今はいろんなことをやれば人も来るし、成果を実感できるんですけど、それが地元の視点の人だと20年先を考えているかもしれないけれど、我々だと、まだ3年先くらいしか考えてないとか。さっきの復興計画じゃないけど何年先かわからない計画になっちゃっているとか。続けていくっていう意味みたいなのがそれぞれあるので、それは考えていけばれいいのかなと。何を続けていこうと考えているのか、お願いします。

多田:まあ、いろいろ考えるんですけど、ちょっとずれるかもしれないんですけど、ここに来るのは必然だったろうと私は思っています。偶然というのはひとつもなくて。だから、ここのいる誰一人いなくても今はない、と考えるようにしています。で、その組織であったり、ネットワークであったり、そのものっていうのはそこにある要素によって決まってきて、それに参加する人によって決まってくる。同じようなことが二度とできないということだと思うんです。ただ、言えることはそのときにどういう風な気持ちでいろんな人がそこに関わったかっていうことだと思うんです。
 私は、特別なことは何も出来てなくて、普通のことしか出来てないんですよ。普通のことしかやっていく気もないんですけど。だからたぶん、みなさんの前には、豪太さんの前には道はなかったと思うんです。で、振り返ると道があったように見える、道が出来ているんだけど、多分道はなかったんですよね。だから、何かが起きたときにはまた道はないんですよ。だけど、そこにあったのはいろんな人がどういう風な思いでそこに一緒にやってきたかって言うことじゃないかと。そこの気持ちを共有して、持ち続けることが大事じゃないかなと。決して優等生の世の中作ろうとしているわけじゃないじゃないですか。優等生の世の中なんていうものはあり得ない。だから、だめなものも否定できないじゃないですか、要素として。そういうことを考えながらいかないといけないなと。
 10万人の人口があるわけですよね。買いものできる店があるんですけど、例えば1万人とか、1万4000人しかいない人口の所でまわりに何もないような状況のところもあって。みんなが被災地にきてもらうっていうベクトルに慣れてしまってるんで、被災地同士、石巻だから岩手の大鎚を見たらわかるみたいなつながりをなんとか作りたいんですよ。というかやってもらいたいんです。みんなでね。これからは県とか市とか、そういうものは全部越えてね、つながりを作っていくということをみなさんで一緒に考えたいなあ、と私は思っております。
よろしくお願いします。

立石:私が続けていきたいと思っていることは2つあって、1つめは日常なんですね。日常を続けるってことはどういうことなのかなって考えていて、とにかく、自分の日常を続けていきたいってことなんです。
 あともう1つ、アートは文化的な記憶装置だと思っていて、今、社会で起きているいろんな問題とか課題を浮かび上がらせるそういった役目を持っていると思います。なので、アーティスト達をこの地に呼んできて、生まれるものを記録していったりだとか、この石巻という場所でもともといるアーティスト達が、今もこれからもなにをつくるのかっていうものを記録して後世に繋げていきたいと思っています。

田村:ETIC.ではけっこうチャレンジしていける生態系を作りたい、残したい、ということを考えていまして、次の世代とか若者に対して残していくのが「やってもやっぱりできなかったね。」とか、「この地域はやっぱり変わらないね」とかそういうあきらめの気持ちではなくて、ちょっとした成功でもいいんですけど、やったらやっぱり何かが変わるかもしれないし、自らチャレンジしていける、自らやっていける繋がりを地域だったり、人の心に残していけたらと思っています。

田根:出会いとか、縁ていうことを大切にしていくというのが続けていくことであり、それは損得でもなければお金でもなくてひとつひとつの出会い、ひとつひとつの縁というものを「ここに来てよかったな」「こういう人に会ってよかったな」「こういうものに出会えて、たべられてよかったな」とかとかそういうことを大切にしていくことで次に繋がっていくんじゃないのかなと思います。

石森:続けていきたいことは、友達づくりですね。震災から時間が経ってしまうと人が捌けていってしまうと思うので、友達とか、知り合いとかになっていけば引き続きずっと町の様子を気にしてもらえるのかなと思うので、今後も友達づくりをやっていきたいなと思っています。

403:今日、一番僕が驚いているのはみなさんなんて話がうまいんだということで、つまり、しゃべり慣れてると思うんですよね。いかにオープンに議論する場所を確保するかということが重要かと思っていて、そんなところです。

今野:続けていきたいことはですね、震災以降、名刺交換した枚数だけ数えますと1200枚越えてしまいまして、だれがだれだか正直わかんない、ラジオ局の立場でございます。もう精神的にも、体力的にも大分疲弊しているというのが本音なんですよ。これは私に限らず石巻でリーダーをとって来た人というのはわりと今そういう時期に来ていると思います。なので、続けていきたいことというよりかは、私としては震災前の日常の感覚を取り戻しながら、そこから頑張って出来ることを考えることから。ずーっと張りつめている緊迫感みたいなものが続いているんですね。個人的でみんなのこと考えてないといわれるかもしれないんですけど、そういった感覚を身につけられればもっと冷静にいろんなことを判断していけると思います。ただ、みなさんとこうして出会ってやっていけるということは悪いことじゃないと思っていますので、また機会があればおしゃべりしてみたいと思います。

丸川:続けていきたいことですけれども、究極的なといいますか、もがき続けるしかないと思っているんですけれども、やはりお金が回る仕組みづくりに対して取り組んでいきたいなと思っています。石巻には素敵なキラキラしている人材が沢山いて、資源としても海のものがあって、山のものがあって、本当に素晴らしいものだと思っているので、そこと仕事やお金というところをきちんと結びつけられるところで役に立てればなあと思っております。

浅野:よく冗談で蛇田の津波の来ていない地域、大型店とか今利便性のある地域に新しくうちを建てて住めばいいじゃないという話をされるんですけど、我が家のある立町は元シャッター街の中心、その次は津波の通った町の中心。でも、その場所で何十年も続けてきた家、そこにしがみついて、そこの場所に誇りを持って生きていくことを続けていきたいなと思っています。

平塚:我々は水産業とか、水産加工業とかすごくローカルな産業なんですけど、みんなと震災後ワーキンググループと集まって最初に考えたことは、今まで日本国内でいろいろと同業で非常に厳しい競争をしてきたんだけど、もっと世界かに目を向けて、世界中に石巻の魚を売っていこうじゃないかという結論に達したので、そういう構造変革をしていくということを続けていきたいと思いますけど。あと、さっきシンガポールに行って売ってたりもしましたけど、海外に実際行って勉強してくると。ノルウェーを見習おうとずっといってて、そしたらノルウェー大使館はたいしたものですよ。僕にスカラシップが出まして、9月に10日程勉強しにいってこようかなと思ってますので、その辺でリフレッシュしてさらに構造変革を続けていきたいなと思っています。

西田:石巻2.0ぺちゃくちゃナイト、本日で最終話になります。この全5回で、ローカルパワーを1回、2回、女子会という名前のガールズパワーを1回、ITの回とものづくりの回をやらせていただいて非常にいろんな出会いや、またいろんな知見をいただいたので、これを生かしていった次のまちづくりでの頑張りを、ダイナミズムを作っていければと思います。
本日はありがとうございました。


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■STAND UP WEEK 2012企画
まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト
第一夜「ローカルパワーNOW2」

開催日:2012年7月29日(日)
会場:社会福祉協議会ビル

登壇者:
近江弘一(石巻日日新聞社長)
真野洋介(東京工業大学准教授)
多田一彦(遠野まごころネット代表)
田根剛(DGT architects)
403archtecture{dajiba}
田村真菜(ETIC./みちのく仕事)
今野雅彦(ラジオ石巻)
丸川正吾(Archtiects for Humanity)
立石沙織(日和アートセンター)
石森洋史(Yahoo!石巻復興ベース)
浅野太一郎(秋田屋)
平塚隆一郎(山徳平塚水産社長)

モデレーター:
西田司 (ISHINOMAKI 2.0)

まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト第3夜「ものづくり・まちづくり」レポート

STAND UP WEEK 2012、 8日目の7月28日(土)に開催された「まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト」のレポートです。

第3夜のテーマは「ものづくり〜まちづくり」。この日は午前中から石巻工房と共催した「石巻デザインウィークエンド」が開催され、まちじゅうでものづくりに関するワークショップが行われていました。シンポジウムの会場は移転したばかりの石巻工房新館。

前半はぺちゃくちゃナイト形式で20枚のスライドを20秒ずつ使ってプレゼンテーション。後半はクロストーク。「ものづくり」に関わりながら、まちへと関わることが議論されました。

登壇者の紹介です。

松崎勉(ハーマンミラージャパン代表

芦沢啓治+千葉隆博(石巻工房)

岡安泉(照明デザイナー)

寺田尚樹(建築家)

後半クロストーク
西田:ものづくりをまちに浸透していくにあたって、芦沢さんなりに考えていることはありますか?

芦沢:石巻工房がこの街の「大道具」になったらいいなと思っています。この間ひょんなきっかけで美術館の裏側に入って、上のほうから覗き込んだら、展示室のバックスペースがすごく大きいことに気づいたんですね。半分くらいバックスペースで、その大きなスペースを大道具が占めていて、展示が変わるごとに大道具が展示室を作り替えていくんです。実は街って今回のようにお祭りがあったりとか、あるいは店舗が入れ替わっていったりとかちょこちょこと有機的に変化していく。そのときに工房がデザインも含めて街の大道具として機能していくようなことができたらいいなと思っています。
 東京で仕事をしていると、お客さんの為にデザインをするわけだけれども、石巻でやっているとどんどんそれが外ににじみだしていっているのが面白いなと。この工房の裏手も少し改造して、僕は勝手にパテオって呼んでるんですが、ちょっとデッキを張ってベンチをおいただけでいろんな人が使えるちょっとした公園になるんだろうと思ってます。

西田:このシンポジウムにぺちゃくちゃナイトの形式を取り入れることを芦沢さんと一緒に思いつきましたが、他の方に聞いてみたいことってありますか?

芦沢:クリエイティブの力って何かというと、「もうここって入り込む隙間がないよね」っていうところを突破する力みたいなものがあるんですよね。だから折角ここにクルクル頭の回転する人たちがいるので、今の石巻工房がさらに突破する方法を一緒に考えたいです。

松崎:半年くらい前に打ち合わせで考えたことがあって、石巻に限らず東北の被災地に対する世界中の関心が高いわけです。今日もハーマンミラーNYからアイシェ・バーゼルという女性デザイナーが来ていますけれども、彼女も非常に東北に来たがっていたんです。そういう関心のファクターが今は高いんですが、時間が経つにつれてどんどん小さくなっていくんです。関心ファクターが高いうちにいろんな人に来てもらおうとしています。それで来てもらうデザイナーには彼らの持つ知的所有権(デザイン)を一つ寄付してくれ、ということを言っています。それがここでの産業になるし、商品になっていく。それが外貨を稼ぐ武器になるんですね。
 普通デザイナーという人たちは滅多にそういうことにイエスと言わないんですが、即座に「もちろん!」という答えが返ってきて素晴らしいなと思いました。デザインが大変な資産となって石巻に残っていく。震災があって、家具や内装の仕事があるから工務店を立ち上げました、というだけだと他の工務店と変わんない。だから関心のファクターが高いうちに、世界中からクリエイターがやってきて知的所有権を惜しみなく提供するというのがいいなと芦沢さんとしていました。だから急がなくちゃいけない。そういうふうにいろんな人が集まってくると、仮に「ここって震災があったんだよね?」と言われるくらい時間が経ってしまったあとでも、いろんな面白いものが残っているので、それを見にまた人が来る。というリズムが生まれてくると面白いなと思っています。

西田:そのすごいスピードの中翻弄されている千葉さんはいかがですか?

芦沢:いや翻弄はしてない(笑)

千葉:芦沢さんがすごくラフな絵を突然送ってくる。こんな感じで、って言って。それをスタッフみんなで解析するところから始まるんです。実はその作業が面白くて、解析し終わった後に目には見えないところとか、ぐらつくところとかを改良していくっていうことの繰り返しです。ここ変えましたからね、って。たぶんそこが本質じゃなくて、全体像が大事なんだろうなって思っています。だからちゃんとした図面が来ると逆に怖いです(笑)

西田:ずっと石巻にいる千葉さんから見て、石巻工房の家具が東京とか違うエリアに売れていく、拡がり方についてはどうですか?

千葉:こういう木工をつくる場所は世の中にはゴマンとあって、そのなかでみなさんのマーケティングのすごさが出ていますよね。普通つながんないだろう、っていうところから注文が来たり。しかも普通のものじゃなくてオーダー家具だったりが注文されたりするのですごいなと思います。ホンモノの木工職人がつくるものってビスが見えなかったりすごくきれいなもので、ある程度の値段をとるわけじゃないですか。それが石巻工房のモノはDIYでつくれる、いわば誰でもつくれるような商品がこんなに売れちゃっていいのっていう。例えばベンチひとつにしても「一台一万円です」っていうと石巻の人だったら「高いね」ってなるのが、東京の人だったら「これ一万円でいいの?安くない?」っていう感覚のズレがちょっと面白いです。この間も某所に納品したときに、つくったものが「こんな値段で売れるんだ!マジかよ!」っていう化け方があります。これは濡れ手に粟だなと(笑)
その感覚のズレっていうのが面白さであり戸惑いでもあります。石巻の感覚でいうところの値段設定と東京の感覚でいうところの値段設定の違いというのが興味深いですね。

西田:ものづくりと呼んでるものが産業になっているということですね。

千葉:もう産業ですね。

西田:寺田さんはテラダモケイという量産されていく産業をつくる側の活動を紹介されていたかと思うのですが、今日始めて来られて石巻の様子を見ていかがですか?

寺田:あんまり僕は使命感とかを考えていない人なのですが、単純にいつも東京で会っている芦沢さんたちのように楽しい連中が「なんかみんな石巻に行っている。僕も行きたい。損している気がする」っていうモチベーションだけで来ているんですね。だけどそのモチベーションというのは、今日楽しかったですし、また次回も来たい。今度は友達も呼んで一緒に来ようというふうに思うんです。そうじゃないと僕の場合は続かないなと思いますし、いつまでも楽しい仕組みをつくってくれて、その仲間になりたいなという単純な気持ちだけで物事が回っていけばいい。僕も建築の仕事はクライアントからの請け負いでやっていますが、プロダクトの仕事は自分がまずは楽しくやりたい。僕自身がクライアントというか、マーケティングとかをしないでやって、共感してくれる人とつくっていくというか。その楽しさは建築とはまた違うテラダモケイの楽しさです。自分たちが楽しいって思うことを続けていくと、友達がまた友達を連れてくるというくらい単純なことでいいのかなと思いますね。

芦沢:石巻工房に関わるモチベーションはいろんな形があっていいと思う。ただいろんなモチベーションをどうつくりだせるかというのがそれに関わる人間の一つの使命というか、持続させるためのエネルギーだと思うんですね。僕は復興の為にDIYが必要だとか言うけれども、僕自身「日曜大工同好会」というのを作ったことがあるくらい日曜大工が好きなんです。自分の大好きなものとここの場所がつながっただけなんですね。実は千葉さんもそうで、無職だったから工房長になりましたという話じゃなくて、ただ好きなんですよ(笑)。僕は千葉さんのインパクトドライバーのダダダッというトルクのかけ方が、ちょっとエロかったんだけど(笑)、プロのやり方だった。そのうまいこと寸止めにする感じが、この人が工房長になるべきだなと思ったきっかけです。それが一つ目のモチベーション。
次のモチベーションは、日曜大工の商品を買う人がいるということ。これは結構おかしな話で。この間、この工房のベンチと全く同じものをつくっているひとがいるのを見つけちゃったんだよね。すっごい驚いた。その人が「同じ物つくっちゃっていいのかなあ」とコメントを書いていたんだけど、それはいいんです、もともと誰でもつくれるようなものをつくっているんです、と。そのかわりそれを売るんじゃないぞと言いました(笑)
あと大事なのは僕らで寺田さんのモチベーションがどこにあるかっていうのを見つけてあげなきゃいけないだろうなと思いますね。
それが多分石巻工房の骨なんじゃないかな。大したお金があるわけでもないし。

松崎:そこだと思います。震災があって大変だから助けに行こうというだけではいつまでも続かない。さっき寺田さんがおっしゃった「なんか楽しそうだから行ってみたい」というのがすごく面白くて、こういう状態ってなかなかつくれないじゃないですか。津波が全てを流してしまった街で。
じゃあ次に何をやるかということを考えているんですが、一緒に来た社員の財務の責任者が「うちの倉庫にワケありの商品ありますよね?」って言うんです。ワケありとはいえ一個一個は相当な値段です。「あれって何個かなくなっちゃってもわからないですよね?」なんて財務の責任者が言うのがとても怖い(笑)例えばあるはずのないハーマンミラーの家具が「石巻工房クリスマスオークション」なんていうのに出ていたら面白いなと。どっから出たかは聞かないでください(笑)
実は私たちも震災後に2回オークションをプロのオークショニアの人とやっているんです。普段は何千万円という商品を扱っている人を呼んできて、今日は300円の競りをやってみたいなと思っています(笑)すごいカッコイイ女性のオークショニアなんですが、なんとか来てくれたら盛り上がるだろうななんてことを考えています。

芦沢:寺田さんに十枚しか作らないモケイキットを作ってもらってそれを売りましょう。

西田:ものづくりからまちづくりへというテーマが一応あるのですが、このへんで会場のかたにも話を聞いてみましょう。

(観客の)藤本:今回「みんなを巻き込もう。未来を巻き込もう。」というのがグランドテーマじゃないですか。だから今回の人たちがそれぞれハブになって、さらに石巻の人たちを巻き込んでもっと大きなことができると面白いなという可能性を感じますよね。
西田:そのへんのビジョンに関しては芦沢さんどうですか?

芦沢:やっぱりこのベンチのデザインのどこが好きかというと… また全然質問に答えていないけれども(笑) 結局巻き込もうと言ったときに「みなさん入ってくださいよ!」なんて言っても入ってこれないわけじゃないですか。だから楽しそうだなという雰囲気をつくって少し扉を開けておくとちょっとずつ人が入っていくその感じで突き抜けちゃうしかないのかな。

藤本:寺田さんが言っていたように、あそこのムーブメントに乗り遅れるな、とかあそこが面白そうじゃんというようなことで人が巻き込まれるといいですよね。

芦沢:僕もヨソモノだけれども、ヨソモノがどんちゃんやっているときに地域の人達が全員いい顔するとは思っていないんです。地方都市特有の排他性みたいなものはあると感じているんですが、そこで思ったのが突き抜けちゃうしかないんだということです。出過ぎた杭は打たれないという話です。「どうぞー!」って開いているだけではだめで、グワーッとすごく突き抜け始めると、批判していたひともしょうがないから工房に来て「これください」ってなる。そこから広がっていく。傲慢な言い方だけれどもそれでいいかなと思ってます。意外と巻き込もうとするエネルギーって疲れるんですね。それだったらクリエイティブをもっと突破していく方向に使ったほうが正しいかなと思うんですよ。どうですか?相当傲慢な意見なんですけど。そうでもない?基本的になんでもいいんじゃないですか。

西田:千葉さんはもともと寿司職人で現在、石巻工房長なわけですけど自分自身のなかで変化等はありますか?

千葉:私自身は逆にいうと、芦沢さんに巻き込まれちゃった方だから。15〜16年は、うちの親父が寿司屋をやってまして、毎日がいやでいやでしょうがない。寿司屋やめた〜いっておもっていたのがずっとなんで、機会があったらやめてやるって。実は今回の震災がその機会になっちゃったんです。むしろ月曜日から土曜日まで仕事して休みが待ち遠しくてしょうがなかったんですよ。それはその、工房をやるようになってから全然気にならない。休みがなくても別にいいし。許せば、いつまででもやっててもいいし。とても不思議な感覚で、結構みんな休みとか必要だよねっていうんだけど、自分自身は別に休まなくてもいいし。とても不思議な感覚です。多分これ、趣味の延長線上っていうのが適切なんですけど。答えになってませんか?(笑)

千葉:多分ここに私がいるってことは、私はこの街で育って来たわけなのである程度顔が広いですよね。近所の人もいますし。そういう意味じゃ、みなさん結局外からきた人な分けですけど自分一人地元の人がいてつなぎができれば、うまくやっていけそうな雰囲気になりますよね。もし例えば全員が地元じゃ無い人だったら多分ちょっと浮いた感じになってしまんじゃないかと。「石巻」って名前がついているけどなんかねって。多分地元の人がいることで、成功してるのかなっていうところがあります。

松崎:千葉さんがいらっしゃるっていうのはすばらしくて、いま聞いて初めてわかることですね。でてくる商品の質が変わって来るし、周りに人が集い始めるし、集まる人もイベントの数もイベントのクオリティもあがって来ている。去年の夏ぐらいからずーっと来ていて、3ヶ月に1回くらいワークショップをやっているんですけど、やっぱりくる度に変わって来ている。移転しているのも引っ越しが趣味だからということではなく、多分、次の場所を求める。で、いろいろ、完成ができていれば確実に変わりますね。ですからある意味、震災っていうことへの関心がへっていくにも関わらず、だんだん楽しくなっている。で、千葉さんのような地元の方も、日本中からそして世界の人もなぜか増えていく。それがおもしろそうじゃない?って。それが人を呼んで最終的には小さな産業になって地元に流れていくっていう流れができて来ている。そういう意味ではすばらしいことではないかなって思うんですね。根底にあるのは楽しいなぁってことですね。それが我々が目指しているところだと思うし。別に、巻き込むための仕掛けづくりとか考えてないんですね。こういうのやったら楽しいんじゃないか、こういうのあったら役に立つんじゃないか。それできちんと調べて、こういうのが役に立ちそうだってなったら、次から次へあたらしいことを考えていく、それでこれを形にしていくってうのが僕らがやっていることで、それが大成功じゃないかなって思うんですよ。

西田:さきほど、寺田さんも似たようなことをいっていて、マーケットがあるわけじゃなくて好きなことをやっているだけだということで。もし、補足があれば。

寺田:ちょっと質問なんですけど石巻工房の機能っていうか、ファニチャーはどういう販路をもっているんですか?

芦沢:販路は、一応小売店に卸しているのもある。ほとんどはインターネットと、実は最近コントラクトが多いんです。ようは、オフィスでテラスが大きいオフィスとかあるわけですよ。そうすると外部の家具ってなにかなーってことになるんですけど、テーブルとベンチのセットで30万とかなった時に、石巻工房だと10万でおつりが来ちゃうみたいな話で。そこにビビッときちゃってこれもあり、あれもありって。

寺田:自分の伝えたい人に伝えるって。結局、ものを作ると、じゃどういう人に売るかっていう話になる。僕の場合だと、どういうお店に置きたいかってイメージがあったりすると、パッケージデザインが、こういうふうな人に来てもらって、こういうふうに買ってもらいたいってなるとパッケージができて価格が決まって来る。だから僕は、ちょっとその石巻工房の家具がどういう動きができてくるかっていうことに興味がある。コントラクトってすごくいいんじゃないか、ある意味建築家っぽい。後は、ハーマンミラーさんのネットワークって最高にいいんじゃないかって。

松崎:それは、ハーマンミラーがくる前から始まっていて、オンラインで家具を売っている代理店さんがいて、実はそれは仙台の代理店さんなんですけど、私たちがここに来て工房で活動するようになってから、「折角オンラインの流通網があるから顧客数を・・・」
で、外貨を稼ぐ分けですよ。つまり、東京とか大阪にアクセスがあるんですよ。じゃあ、そこに工房のスツールをのせたらいいんじゃないかって。

芦沢:だから正直あれだよね、お店で家具を売るのがすごく難しくなってきていて。特に、1万円のベンチを東京で3万円のショップに置くっていうのは、おそらく月に30台くらい売らないともとがとれませんよねってなっちゃうから。で、おそらくベンチってそんなに売れるもんじゃない。と、思いません? だから、なんで売れるのか?いままでなかったものが日本中のニッチに入ってたまたま売れているけど、現実的にそれをショップにおいて、ショップに来る人たちって目的を持ってくるじゃないですか。今回はソファー買うぞーとか、ダイニングに置く椅子を買うぞーとか、そういうのはあるんですけど、ベンチ買うぞーっていうのは相当なニッチなニーズですからお店においてもらうのは難しいんですよね。ですから、そういうのは考えないといけないんですよね。

寺田:まあ、なんか巻き込むって話で、デザイナーとかそういう人を巻き込むってことはあるんだけど、今はその次でね、石巻工房の家具のファンとかそういう人を巻き込む作戦っていうか。

芦沢:寺田模型作戦といっしょですよね。ファンをつくる。

寺田:まあでも、同じですけどそってこれからエネルギーを使う。

芦沢:陳腐な言い方になっちゃうかもしれないんですけど、ブランディングっていうのは多分そういうところで、焼き印をするってまさに、焼いているみたいな所はありますけど。

加藤:ものづくりってことでワークショップをハーマンミラーさんとか、寺田模型さんとか、千葉さんも子供向けにベンチ作りのワークショップをやられていて、一言でワークショップといっても、いっぱいあるなと思ったんですけど、そのワークショップでつくることの可能性とか、感想を思いつく方から話していただけたらなと。

千葉:こないだ、端材を使ってすごく簡単な鳥小屋をつくる、四つぐらいの端材があってビス留めするってだけなんですけど。それを近所の子供達と一緒にやろうってことになって、基本的に三角屋根の箱になってすごく簡単なんですけど、子供達に合えて丸投げしたんですよ。じゃあ、完成図はこれでーす。つくってくださーいって。そしたら、子供たちってっていうのは、放置プレイされたことがないって。どういう風に組み立てて、どういう風にネジをまわしたらいいのか、うまく組み合わせ方が分からなくて、いろんな形で作っちゃって、同じような部材があるんだけど、コレとコレは何が違うんだと。そういうのがむしろ新鮮だったんです。なんで、考えながら作るんですよ。完全な説明書が全部あるんじゃなくて、要所要所でこうやったほうが作りいいとか。作りやすいよとか。あえて突き放して、完成型はこれだよってやるのが面白かった。明日も、特にこれ作りますよとか提示しないで、端材これありますよとか、で、こんな感じ椅子作れますよとか作品的なものを作って、「座る為のもの」をつくる、「すわれるもの」をつくる。そういう感じにしてやってみようかなっていう。その辺が、多分大人も結構、いちいち説明してやって作るのではなく、部材を見てこれが形になるんだっていうのを考えながらやっていこうというのが楽しいんですね。

芦沢:DIYとワークショップってこれほど相性のいいものはないですね。だから、自分でDIYやっている人の半分は、図面なんて書いていないんですよ。いきなり、作り始めるでしょ。だからそれはもう、ワークショップそのものなんですね。DIYっていう。なんか、ここにあるベンチなんかは、僕は新幹線で図面つくって、高校生がやっているのを見て、「いや、そこはそうじゃない」とか、調整していってできあがったっていうのがあるんですよね。なんかまあ、図面かいてCG起こして、模型つくってプレゼンしてっていうのが慣れているんですけど、実際は自分で作ってみて、座ってみて感覚ためしながらやっていくことがよっぽど答えに近づくっていうか。そういう実感みたいなものを発見して。それを、無理矢理人に教えたいっていうのが僕にとってのワークショップ(笑)。
寺田:結局ワークショップって自分のためにやってるって思わないと、どっかで飽きちゃうじゃないですか。同じことの繰り返しになっちゃうっていうか。
ワークショップをやるテクニックがあるとルーティンになって、授業みたいなところがあるじゃないですか。毎年同じ授業がある。ルーティンの歴史の先生みたいなことをやっていてもしょうがない。だから、毎回・毎回少しずつ変えていって、そんな中で子供とか作ってくれた人が逆にアイディアをもらう。特に、僕は石巻でワークショップをやっているっていうか、どこでワークショップをやっても毎回ちょっとしたアイディアをもらえるように毎回ちょっとした種をまくっていう。

(38:08)
西田:今日、ワークショップを行うにあたって何か考えられていたことはありますか?

寺田:今日はお題として、いつもの生活をつくってくださいっていう。っていうのは、僕も今回初めてきて、石巻の状況っていうのは分からなかったし、特に今回子供が多かったので、彼らが思う日常ってなんなのかなっていろんなことが。子供がどういうこと考えているのかなって、ちょっとリサーチ的な気持ちで、いたって健全なものが出て来たのでそういった意味では安心しました。大人に向けて同じようなワークショップやると結構作るものが暗かったりするんですよ。苦労してるんだろうなーとか(笑)。よくよく聞いてみると、その人は会社にあまり来ていなくて何かわずらっているとかね。なんかそういうのが、あの小さなキューブの中で模型を作ると精神状態がね。特に大人はわかっちゃう。出るんです。だから、今回子供達からは明るいものが出て来たので、僕自身はとても安心しました。

−病んだ作品ってどういうのですか?
寺田:こんだけ材料渡しているのに、で、2時間も時間があるのに人一人ポツンとしか作らない人とかいるんですよ。どこに人間おくのか考えるのに2時間もいらないじゃないですか(笑)

西田:松崎さんは如何ですか?

松崎:私はたくさん、いろいろなワークショップをやっているんですが、一番印象的だったのが、東松島っていうところでやったワークショップで、子供のワークショップだったんですが事前にコミュニティーセンターというか、担当の方と打ち合わせをするんですよ。で、募集をしなければ行けないのでチラシを作って、で、その時に私たちは当然それをつくったら持って帰っていいよっていうんですけれども、そういうインセンティブをもったわけです。子供を集めるために。そしたらとても面白いことをしたんですね。指導者の方は子供をみているわけなんですけれども、家を無くした子供が大半なんですけれども、「困っている人の為にスツールをつくりましょう」ってよびかけましょうっていうので、そんなことをしたら子供来ないんじゃないかなーって。だけど、「困っている人の為にスツールをつくりましょう」って、但し「2個目からはもって帰っていいですよ」って。一個目は誰かに挙げる為、二個目、三つ目は自分で持って帰ってもいいし、友達や誰かに挙げてもいいよって。これはおもしろかったですねー。みんな燃えますよね。だから一個目だから誰かの為にっていうのでつくって、二個目くらいになると結構うまくなるんですよね。「これ自分の。」「これお父さんの」とかね。一番多く作った子は、小学校4年生だったんですけど7つ作って、終わった時には1t車で運んで来た部材が全部なくなっていて、22人きて800(脚)くらい。800のうち80脚くらいは誰かに渡っていて、残っていたのもあって、それをコミュニティーセンターに残して仮設住宅に。これは、面白かったですね。

西田:前向きな力をそこで育むというか。

松崎:だからバランスなんでしょうね。自分がほしいって気持ちと誰かの為に挙げたいって気持ちと両方ある。かたっぽだけだとちょっと厳しいんですよね。でも、両方あるからすーごい歯車がまわっていた感じですね。

−この材料はどこの材料なんですか?
千葉:ちょっと言えないです(笑) 流通経路がばれるとまずいからちょっと言えないです。
流通経路がばれるとちょっと。

松崎:今日ちょっとお客さんが見えていて、地元の木材の会社の方。なんの為に見えているかというと、地元で高い部材であったり、逆に間伐材であったり、そういうものをちょっと別ラインで見ていくのもあるかなーと思って。そういう特別な商品ラインをつくろうっていう可能性があればお会いすることができる。多様なところから、ソースをひくのも製品が多様化するっていうのもあって、いいのかなーと。


西田:一人づつ、今日のものづくり

芦沢:工房って、僕、東京の赤羽ってまちに住んでいまして、すごくしがない街なんですけれども、そこにも欲しいなって思っているんですよね。だから石巻工房があれしたら、僕がもし赤羽に住んでいたとしたら、僕借家だからあれなんだけれども、今度そっちにつくろかなーって。勝手に思ったり、そんな気がして。川本くんを代表にして(笑)

千葉:ものづくり、まちづくり、子づくり(笑) 日々努力をしてます。

西田:ものをつくる担い手をつくるって意味で、石巻工房はすごく活路を見いだしていると思うんです。

千葉:まあ来てもらって対応できればいいんですけど、今まだちょっと忙しいので来てもらっても対応出来ない。

西田:先ほど芦沢さんも、ちんばさん以外にももうちょっと人数増やして、ちんばさん以外にももうちょっといろいろできるようにっていうお話ありましたけど。

千葉:いろいろ、状況が変わっていくのが世の常ですので。なんとも言えませんけど(笑) 半年後は。ギターケースの中にギターがあるとは限らないわけですから。つまり、どう転ぶか分からない。

松崎:実はハーマンミラーは毎年、2週間12名の社員を毎年どこかに送るっていうのが決まっているんです。今まではハリケーンカトリーナとか、インド洋の津波で被害を受けたインドとかハイチの津波で被害を受けた場所とか。実は今年っていうのがあって、今年はハイチなんですよ。ようは、復興していないから、今回工房をつくってそこに産業をつくるっていう考え方でやったのは初めてであって。なんでかっていうと、いままでは例えば学校をつくるとかそいうことで、学校をつくるとそこでみんな帰っちゃうんですよね。学校をつくり終わったら。二件目はできないじゃないですか。で、ハイチは要はそこに工房を作ればいいんじゃないかなって。で、工房で雇用も生まれるし、工房から供給される家具とか内装の講師とかいわゆるそういうものができる。なので、そういう風に一つのモデルができるのではないかと思って、海外にもそういうモデルができるといいなと思っています。そうするとハイチにも使えるし、万が一将来どこかで災害が会った時にこのモデルが使えるのかなと。そういうことが、僕のものづくりからまちづくりですね。

寺田:ものづくりからまちづくりへってあれじゃないですか。芦沢さんが自慢のパティオですか。それなんじゃないですかね。昨日伺ったベルギーのディナーも最高だったし。なんか知らない人も一緒にテーブルについて。なんか今日はそれでこのあとなだれ込むっていうのが、すばらしいんじゃないですかね。
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■STAND UP WEEK 2012企画
まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト
第3夜「ものづくり〜まちづくり」

開催日:2012年7月28日(土)
会場:石巻工房新館

登壇者:   
松崎勉(ハーマンミラージャパン代表)
芦沢啓治+千葉隆博(石巻工房)
岡安泉(照明デザイナー)
寺田尚樹(建築家)

モデレーター:   
西田司(ISHINOMAKI 2.0)

7/12 東京♥石巻「まちと自分のつなぎかたをデザインする」レポート

7月12日、渋谷・道玄坂にて行われたイベント、東京♥石巻「まちと自分のつなぎかたをデザインする」のイベントレポートがOpenCuのページにアップされています。

http://www.opencu.com/2012/07/ishinomaki20_report/

まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト第2.5夜「地方を変えるITの巻」レポート

7月27日にぺちゃくちゃナイトの第2.5夜が行われました。
この日のまちづくりシンポジウムは、同日の昼間にスタートした「石巻ハッカソン」というイベントの親睦会を兼ねた番外編。全国で活躍するIT関係者が一堂に会しました。

「石巻ハッカソン」とは、IT関係者が集まって、「地域住民が抱える様々な問題について、ITを駆使して解決し、新たなビジネスモデルを構築する」ことを目標として、グループ単位で競うイベント。複数の参加者が問題を発表 それぞれの問題についてチームを結成 チーム毎に解決策を検討、プログラムを開発、プログラムのプロトタイプを発表するという流れ。7/27~29までの会期中は地元の高校生がソフトウェア開発の第一歩を踏み出すためのイベント「Boot Camp」も開催され、高校生と一緒にスマフォのアプリも製作しました。会場の石巻工業高校では3日間、様々な人たちが交流し、白熱した時間を過ごしました。

このまちづくりシンポジウムは一人20枚のスライドを用意し、一枚につき20秒、合計400秒で、各々の自己紹介も含めた「ぺちゃくちゃナイト」形式の第1部と、ディスカッション形式の第2部で構成されています。会場は前回の第二夜に引き続き石巻のスナック・ピュールで行いました。スナックということもあり、飲み会に近いような、親密な雰囲気のなかでのシンポジウムになりました。
テーマは「地方を変えるITの巻」ということで、IT分野で活躍している様々な方がご自身の経歴、これからやろうとしていることなどを話してくれました。

以下登壇者の紹介です。

佐々木陽(Gclue)
自己紹介から現在進行中のプロジェクトまで話して頂きました。

李東烈(Startup Weekend)
Startup weekendのプロジェクトの紹介と説明をして頂きました。

原亮(みやぎモバイルビジネス研究会)
六本木や秋田など様々な場所での活動の紹介やfandroidの説明をして頂きました。

及川卓也(Google)
自分の生い立ちから現在の仕事に就くまでの怒濤の経歴、最後には震災から影響された心のうちを話して頂きました。

藤本孝(ソビデ研)
シェアという考え方からシェアキッチンというプロジェクトの紹介をして頂きました。

津田恭平(石巻専修大学)
石巻出身の地元の若者として、生い立ちから大学でのサークル活動など細かく紹介して頂きました。

以下、第2部ディスカッションの様子です。

古山隆幸(ISHINOMAKI2.0)―――ITで石巻を活性化させたいというのが自分の目的です。今回、ぺちゃくちゃナイトのITシンポジウムということで、イトナブのように石巻で活動をはじめる組織がどのようにITで儲かる会社のモデルケースとして、ソリューションをどのように作っていけるか皆さんで話し合えたらと思います。

石森洋史(ヤフー石巻復興ベース)―――石巻ハッカソンに参加したヤフーの皆さんは今日、石巻に初めて来た人もいますので、その感想などを話してください。そこから議論や何か見いだせないかと思います。

(会場)―――街を見ての感想を言いますと、震災の影響がまだ残っているところと普通の暮らしができているところのギャップを大きく感じました。日和山より海側の被災地を見て、東京などの日常生活では感じることのできない何かを感じた。

(会場)―――シャッター商店街があるという話を以前から聞いていたが、実際に見て、逆に商店街が震災をきっかけに盛り上がっていて新鮮に感じました。

(会場)―――被災地を見て、思っていた以上の光景だった。しかしシャッター商店街を見て、同じような風景は被災地でなくてもあることなので、どうすれば良いか戸惑っています。

(会場)―――被災した場所に新築を建てようとしている光景を見て驚きました。あと、海側の瓦礫が未だに片付いてないことは、東京に住んでいる自分は全然知らなかったことでした。

及川卓也―――ギャップという話が出たが、皆さんが日常通りと言っている石巻駅前のロータリーも今は綺麗で被災した形跡はないが去年は酷い状態でした。今の状態になるまでには多くの方の頑張りがあるからなのですが、やはり記憶という物はだんだん失われてしまうと感じました。私が言いたいことは、今回、総務省から三菱総研に委託された東日本大震災アーカイブというプロジェクトが立ち上がり、国会図書館がアーカイブを集めようとしている。そういうときに数字のデータだけ拾うのではなく、多くの人の現地での活動自体をアーカイブにすること重要だと思います。そのときに僕たちのようなIT関係者が人の活動のようなアナログなものと、デジタルのデータとをつなげていく役割をしなくちゃいけないと思います。
もう一つは、現在、石巻でボランティア活動していた多くの若者が移り住んでいます。ITの世界にも同じような若者が多いはずなんだけど、きっかけがまだない。だから、活動をアーカイブ化するような仕事をイトナブのような地元のITの会社に任せて、雇用を生み出させたら良いと思いました。

(会場)―――ITの業界だけで問題を解決して終わってしまうのではなくて、現地の困っている人に対しての受け皿となるようなサービスが必要だと思う。つまり、ただ情報を発信するだけじゃなく、まずはニーズになるような声を探すことが重要だと考えています。

石森―――東京では去年の震災の影響を受けているので少なからず覚えている人はいると思うのですが、西日本の方ではどうでしょうか。

(会場)―――名古屋から来ているのですが、3.11は仕事をしていました。名古屋では大きい被害が出てなかったので、家に帰って初めて地震の状況を知りました。計画停電は無かったのだが、ただスーパーから物がなくなり、そこで初めて地震の深刻さを実感しました。正直、震災の怖さは風化していると思います。自分はこの状況は何とかしなければいけないと思っています。

石森―――ヤフーでは課題解決エンジンという目標を掲げています。ITは情報発信が役割だと思っていますが、自分は課題が見つからないものだと実感しています。それは、解決しなければいけない課題が、それぞれの人の潜在的なもので、そこに気づくまでには時間がかかるのと石巻に来てわかりました。

(スナック店員)―――自分の家が海に近くて、3.11は避難していた。津波が去った後の地元は戦争の後のようですごかった。現実に困っているのは家の問題で、今は仮設住宅に住んでいるが、土地も高くなっているし、その土地の価値自体も自分には分かりません。全く変わってしまった地元を見て、もう戻りたいと思わない。今は蛇田に住みたいです。

古山―――蛇田に住みたいと言っている人は実際かなり多いです。それはイオンや家電量販店などの大型ショッピングセンターがあって、住むということに関してとても便利な状況になっているからなんです。それゆえにシャッター商店街を生んだ訳でもあります。地方都市の商店街の衰退の原因の一つは、このような郊外にできた量販店の箱に人口が流出するという問題です。そこで自分がやろうとしていることは、場所を問わず動かせるITで産業を石巻で作ることができたら良いと考えています。その為にはアイデアを出す人材、特に若い世代の人たちが必要になってくる。もし石巻で実現できたらモデルケースになり、他の地方都市でも実現できてしまうのではないかと考えています。

佐々木―――今は福島県の会津若松の会社で働いているのですが、会社を作ったときも最初から成功するはずもなくて、初めて3年くらいは借金だらけでした。しかし、続けていくことでいつの間にか成功していくようになる。Yahooのような大きな会社もそうだった。最初から成功するモデルなんてあり得ないと思っています。若い人たちには安い給料でも十分で、同じ夢を持った仲間と仕事ができること、彼らのアイデアがビジネスになることが重要。会津若松や石巻も同じように若い人たちにそういう環境を作ってあげる。実際にアメリカでは高校生や大学生がアプリケーションソフトの開発をして、お金を稼いでいるし、石巻でも可能だと思っています。

(会場)―――そうですね。実際にコロナSDKというアプリ開発ソフトを使って、アメリカの14歳の中学生がBUBBLE BALLというアプリを開発して、発表から2週間で100万ダウンロード、1ヶ月で700万ダウンロードという記録を出しました。あと、4,50代の世代のおじさんプログラマーにもコロナは人気で、佐々木さんも言ったように武器を与えるという意味でとても面白い。

(会場)―――阪神淡路大震災と今回の東日本大震災との大きな違いは、インターネットで得る情報量だと思っています。今回の震災が起こって、マスメディアの信用性が下がりました。どの情報を信じれば良いのかわからなくなった人が頼ったのが、yahoo知恵袋のようなネットを介して、人と人のコミュニケーションがとれる場でした。知恵袋のユーザーは8000万人くらいいる。インターネットが持っている情報量は莫大にあるけど、その中で信用できる情報を見つけ出すことが難しくなってきた。今後は、その情報の整理が必要になってくると考えています。

石森―――石巻から2007年に上京してyahooに就職した。今回石巻に来るにあたって社長から黒字化するまで帰ってくるなと言われてしまいました。自分は石巻に来て、情報発信をしなければならないと思っていますが、そこでお金儲けをしなければいけない。自分のバックには全国にネットワークを持っているyahooがいます。その力を使って、石巻の情報を全国に発信しなければいけないと考えています。
石巻には元々何にも無かった。そこに津波が来てもっと駄目になってしまった。そういった中で情報発信しなければいけない。じゃあ何を発信すれば良いのかと考えたときに、まさにこの場がそうじゃないかと思いました。多くの人が集まって石巻について語り合っているこの場所こそがコンテンツだと思いました。石巻には毎日多くの人が来て多くのことが起こっています。この起こっていることこそ発信しなければいけないことだと思っています。

古山―――今日の皆さんのお話を聞いて、アイデアというかイトナブで出来そうな一つビジネスモデルを思いつきました。ISHINOMAKI 2.0では人の誘致という目的があるのですが、イトナブではそこに来る人をどんどん巻き込んでいく、さらにIT関係者の人を巻き込んでいくというのがイトナブの使命なんじゃないかと思いました。

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■STAND UP WEEK 2012企画
まちづくりシンポジウム ぺちゃくちゃナイト
第2.5夜「地方を変えるITの巻」

開催日:2012年7月27日(金)
会場:スナック・ピュール

登壇者:   
佐々木陽(Gclue)
李東烈(Startup Weekend)
原亮(みやぎモバイルビジネス研究会)
藤本孝(ソビデ研)
津田恭平(石巻専修大学)

モデレーター:   
古山隆幸(ISHINOMAKI 2.0)
石森洋史(ヤフー石巻復興ベース)